性向の民族性:日本人はベンチャーに向かない?

 わが国では性格が血液型によって決定されるという俗説が根強い。一方で血液型については民族“差”が大きいと言われる。こうしたところを併せて考えれば、性格には民族“差”が見られるとしてよいこととなる。ただ血液型性格決定論は俗説が先行しすぎている嫌いがあり、科学的にはその根拠は乏しいということのようである。
 では性格について民族的性向が全く肯定されないのかと言えば、そうではない。これに関して、2008年11月28日に東京大学で実施された『東アジアイノベーション政策カンファレンス』における、堀場雅夫堀場製作所)のクロージング・リマークスを引くこととしよう。ここで堀場は高木美也子日本大学教授)に従って、「1996年に、人間の気性に強く関係する新規性追求遺伝子なるものが発見された」ことを示したのである。
 脳の中には、脳内特有の神経細胞が100億個以上もあり、それらがネットワークを作り様々な情報を処理し、人間の行動をコントロールしている。そして、神経細胞同士は情報を伝えるために、互いに神経突起(軸策と樹状突起)を出し合っているのであるが、神経突起において神経細胞は物理的には繋がっておらず、その間にはシナプス間隙と呼ばれるわずかな隙間が存在する。こうした“隙間”を埋めて神経細胞間で情報を伝えるためには、ドーパミンなどの神経伝達物質が必要になる。情報を伝えるための神経細胞から神経伝達物質が放出され、情報を受け取る側の神経細胞に付属する受容体(あるいはレセプター)にそうした神経伝達物質が付着すると、そこで初めて何らかの情報が伝達されるという仕組みになっているのである。
 さらに堀場によれば、「神経伝達物質を受け取る受容体は“長”“中間”“短”の3種類あって、その長さが性格を決定する」のだと言う。そして“長”い受容体が持つ性質としては、第1に、行動において衝動的であること、第2に、聞き手よりは話し手であること、第3に、人との交わりを求めるが長続きしないこと、第4に、情報が不足していても決断出来ること、等々。また“短”い受容体の持つ性質としては、第1に、慎ましやかであること、第2に、長時間の集中に耐えられること、第3に、穏やか・忠実・理性的であること、第4に、完成された組織で力を発揮すること、等々があげられるというのだ。
 問題は個人レベルであればまだしも、これら“長”“中間”“短”の受容体が民族によって保有分布を異にすることである。この分布状況は、「アングロ・サクソン人では、“長”50%、“中間”47%、“短”3%であり、日・中・韓のアジア人では、“長”2%、“中間”78%、“短”20%である」ということだ。“長”“中間”“短”の3種類の受容体の保有する気質を前提とし、そうした受容体の分布が民族間で異なるとする実証に従うならば、ここに民族間で“性向”の異なることが科学的に証明されることとなる。
 堀場がこの議論を持ち出したのは、米英でベンチャーが成功し、わが国でそれが必ずしもうまく行っていないことの一因をこれに求めたわけだ。“長”い受容体の比率が米英50%、わが国2%であることからして、彼我には埋めがたい差異が存在する可能性があるとして、わが国ベンチャー振興への根源的な懸念を表明したのである。
 ところでこうした議論の大元は、クロニンジャー(C. Robert. Chloniger;ワシントン大学〔米セントルイス〕医学部教授)によっている。クロニンジャーによれば、こうした遺伝子が固有に有する気質の組み合わせに基づく分類によって、8タイプのパーソナリティーが存在するということである。
 堀場が懸念したのは、こうした中で冒険家タイプが少ないことであった。このタイプは新奇性探求心が“高”い中で、損害回避心や報酬依存心が“低”いということである。新規性探求が“高”いということは、アクセルを常に目一杯踏みがちである反面、損害回避が“低”いところからブレーキがかかりにくく、加えて報酬依存が“低”いところから社会の中で孤立する傾向が強くなり、したがって唯我独尊になりがちになるということである。換言するならばこうしたタイプは、それ行けドンドンで、決して後ろは振り返らない。また他人の言うことに耳を貸さない。それがこの冒険家タイプであるとするならば、クロニンジャーの示す8つのタイプ中一番ベンチャー起業家に向くと考えてよい。堀場はそのことを言いたかったのであろう。
 冒険家タイプの真対極に位置するのが、慎重タイプである。新奇性探求心が“低”い中で、損害回避心や報酬依存心が“高”いということである。新規性探求心が“低”いということは、アクセルを吹かすことを好まない。その一方で損害回避心が“高”いわけであるから、ブレーキがかかりやすく、加えて報酬依存心も“高”いところから、社会の中で他ともよく交わり協調的に行動する。これも換言するならば、このタイプは決してがむしゃらに、ただひたすらに前に進むことはない。行動は自省的かつ協調的である。また他人の言うことにもよく耳を貸す。それがこの慎重タイプであるとするならば、8つのタイプの中では、やはりベンチャー起業家にあまり向くタイプとは言えないのであろう。
 冒険家タイプと慎重タイプは極端なケースである。真理はその中間にあるのだろう。しかしながら遺伝子分布で示されるように、民族間における気質及び性格の差異が歴然と存在するのだとすれば、その性向において偏りが生じることを否定出来ないとする見解は、妥当と見てよいであろう。
 因みにガルブレイスなども、「アメリカ人はいまだに投機を誘う機運に乗りやすい国民」であるとし、そしてなぜそうした機運に乗りやすいのかと言えば、「新しい冒険的な企てには無限の見返りを手にする可能性が秘められており、アメリカ国民は誰もがその分け前に与ることが出来るという信念をいまなお抱いているからだ」ということである。アメリカ国民をアングロ・サクソン人と読み替えれば、ここに直感的ではあるが、アングロ・サクソン人の冒険主義的性向が語られていると言ってよいであろう。
 アングロ・サクソン人ベンチャーシップについては、何となく得心の行くところである。徒にベンチャー振興を唱える前に、こうしたことにも耳を傾けなければならないということであろうか?