福岡にて:観光問題を考える

 先週は福岡に出張した。目的は九州大学のお目当ての先生との意見交換である。この時知ってショックだったのは、かの天神商店街でもそろそろシャッター店舗が問題になりつつあるという話である。時間がなくてその実態を自分の目で確かめることは出来なかったが、極めて不芳な話題である。福岡でこんな状態であれば、他の地方都市はもっと厳しいということだ。
 それから、その時もうひとつ話題になったのは観光振興である。福岡の観光上の魅力として、ある海外からの使節団とのディスカッションで再三問いかけられたのは、セールスポイントとしての“文化”は?ということであったのだそうだ。率直に言えば、福岡は文化的魅力が認められないということであろう。
 私は観光の三点セットは、風俗・文化、建造物、自然のみっつだと考えている。こうした目でわが国の観光上の国際競争力を世界遺産に見ると、文化遺産として誇りうるのは集積度・厚みという点では京都・奈良ぐらいであるし、自然遺産としては知床、白神山地などはあるが世界に誇りうるかどうかと言えばやはりレベルはそう高くない。
 前者は、ローマ・フィレンツェをはじめとするイタリアの諸都市と比べればよいし、後者は、アフリカやアメリカの大自然と比べればよい。世界遺産を観光資源のメルクマールとすれば、わが国の劣勢はまごうべきないということだ。こうした実情に照らせば、福岡に観光資源が薄いとしても仕方ないことだ。
 しかしわが国は伝統と文化では世界に決して負けない。にも拘らず、観光資源に乏しいのはなぜか? それは明治維新の打ち毀し運動に大きな原因がある。ではその打ち毀し運動とは何か? それは“城”の打ち毀し運動である。城の打ち毀し運動などとはあまり言わない。だがいくら反革命の物理的あるいは精神的拠点化を怖れたとしても、あのヒステリックさから見て、私は、これは完全に打ち毀し運動であったと考えている。
 わが国の文化遺産として“城”関係で指定されているのは、姫路城と沖縄のグスク(城)群のふたつだけである。姫路城を実際に訪れると、遠くから見る優雅さとは異なり、その壮大さに圧倒される。沖縄のグスク群は、中城城、今帰仁城などの城跡に往時を偲ぶばかりである(首里城は復元されているが…)。
 それにしても明治維新に限ることではないが、革命の罪は如何にも大きい。歴史・文化から風俗・習慣に至るまで、旧体制を全否定することとなるからだ。そうしなければ反革命の亡霊に何時までも怯え続けるということなのかもしれないが、民族の連続性も同時に全否定されることとなってしまう。アジアでもアユタヤ遺跡やアンコール遺跡で仏像の首が切られているのを目の当たりにすると、悲しみを通り越して、その人間の業にはつくづく暗澹たる気持ちになってしまう。そう言えば東寺の柱に描かれた曼荼羅絵も、維新の廃仏毀釈令によってこそぎ落とされている。革命などは所詮近代化の名を借りた野蛮人の跋扈と言えば、いいすぎであろうか?
 野蛮人は兎も角、明治維新で根こそぎ継承すべきわが国の貴重な文化遺産が根絶やしにされたことは間違いない。その罪は近代化への導きとなったことを考慮しても、拭うことは出来ない。
 私は以前からわが国に江戸時代の城が現存していたらどんなに素晴らしいことかと、考えて止まない。世界遺産ではなくても、実際に訪れた松山城松本城犬山城は実に勇壮であった。城は現存しないが、金沢の兼六園や、水戸の偕楽園には庭園だけでも雄藩の豪壮さを感じさせられる。皇居だって桜田門半蔵門を通りかかるだけでも、江戸の空に聳える天守をついつい想像してしまう。
 歴史・文化はシンボルによって継承されるものである。そのシンボルである“城”が根こそぎ打ち毀されたのであるから、わが国の歴史・文化が中途半端にしか継承されなくても仕方ないのかもしれない。
 観光に戻ると、日本全国どこへ行ってもヨーカドーやイオンだらけで、長野や軽井沢のように駅舎なども打ち毀しで個性を奪ったのだとすれば、何をかいわんや。今更観光・観光と騒いでも後の祭りと言うものだ。国立大学でも観光が研究されるところが目立ち始めているが、敵は観光以前ということだろう。合掌。