ポリネシア文化センターとあおいチャン

 ハワイ旅行で感じたことを既に本欄で、『ハワイの日本語とこれからの中国』(3月16日)、『ハワイの名ガイド川手さん』(3月23日)と2回に亘って書いた。今回がハワイシリーズの3回目である。タイトルどおり、ポリネシア文化センター(Polynesian Cultural Center=PCC)とそこのツアーガイドあおいちゃんについて書くこととする。
 ポリネシア文化センターなどと言うといかめしいが、何のことはない。ポリネシアを舞台に設えたテーマパークである。これはホノルルから車で北に1時程度の場所にあるライエという町にあり、面積は42エーカー=17万平方メートル。東京ディズニーリゾートTDR)が160エーカー=65万平方メートル(駐車場・バックヤード等全てを含む)ということなので、規模的にはTDLの1/4程度の広さということだ。
 もっともTDLはそのなかにランドでは7つのテーマランド、シーでも7つのテーマポートを擁することを念頭に置く一方で、PCC全体をポリネシアに特化した1つのテーマランドあるいはポートと考えれば、PCCの方が徹底的に厚みがありその中身が濃いという印象である。
 ここには大きなラグーンや滝、生い茂った熱帯植物に活火山などの舞台装置が整えられ、ハワイ、サモアアオテアロアニュージーランド)、フィージータヒチ、トンガ、マーケサスの7つの島々に、ラパヌイ(イースター島)等の「その他の島々」を加えた、それぞれの地域に関する民族・風俗・習慣・地理等が1つの場所で居ながらに体験できるよう工夫が図られている。
 またPCCがユニークなのはモルモン教団が作った非営利組織ということであり、またそれが隣接するブリガム・ヤング大学ハワイ校(=BYU-H,モルモン教団によって創設)の多くの学生によって運営されていることである。PCCの全スタッフ中、学生の割合は7〜8割にも達しているということだ。
 PCCが作られたのはそもそもBYU-Hを作ってはみたものの、田舎すぎて周りに学生のバイト先がない。そこでテーマパークでも作って、学生にバイト口を提供しようということで始まったのがPCCなのである。宗教団体とその傘下の大学がテーマパークの経営と運営に当たると聞けば何か胡散臭さも漂うかもしれない。だが行って見ればそんな雰囲気は微塵も感じられない。普通の楽しいテーマパークである。
 BYU-Hは宗教ということを別にして実に面白い試みの大学である。学生はアメリカ本土はもとより太平洋地域から広く集まり、国際色は豊かなどという代物ではない。全学生数は2500人と小規模であるが、その国籍は70ヶ国に及ぶ。それも太平洋地域とりわけ南太平洋地域が多いわけだ。期せずして当該地域の異文化交流が進むのは自然の成り行きである。PCCはバイトの手段であるとともに、そうした交流のための具体的な触媒の役割を果たしていると言ってよい。
 ポリネシアと一括りにしてしまえば、「裸の、色の黒い人たち」が椰子の実やラグーンの魚を取りながらのんびりと暮らしている。そんな印象が一般的であろう。しかしポリネシアのなかでも地域が異なれば、民族・風俗・習慣等が異なり決して一緒くたには出来ない。PCCを訪れれば、そんな当然のことに今更ながら思いが及ぶ。それだけでも一度訪れる価値はあると思う。
 BYU-Hで学ぶ学生たちはそれを日々実体験しているわけだ。ちっぽけな偏差値などを気にする学生生活と比べれば、明らかに別次元である。教育効果もはるかに大きいはずだ。変な話、ポリネシア文化圏に入ってしまうと白人はちっとも格好よくない。かえって踊りが下手でリズム感の悪い分マイナーである。白人社会のなかでは黒人やアジア系はどうしても格好悪いし、マイナーな存在にならざるを得ない。
 ところがところ変われば品変わる。こうした文化圏のなかでは、白人が決してメージャーな存在ではなくなるわけだ。このことは当然と言えば当然の話である。われわれは白人文化にどっぷり漬かりすぎた結果、不要に身近らを卑下することが多い。白人コンプレックスである。しかし「メジャー−マイナー」関係が相対性原理の世界であるとするならば、元来それが一方的な関係性に固定化することはないはずである。考えてみれば当たり前のことであるのだが、PCCを体験するとそうした気分が一層のこと強固となる。
 BYU-Hに学ぶ学生たちは多分に人種や宗教に関してボーダーレスとなるのであろう。これこそが教育の力である。BYU-Hはビジネス関係の学科の評価が高いとのことだ。しかしそんな小手先の学問を身につけること以上に、この場に存在して学ぶことの意義の方がはるかに大きいのではないだろうか? 国際交流の原点をここに見る気がする。
 ところで標題にあるあおいチャンは日本からの留学生である。彼女はPCCのわれわれのツアーガイドを務めてくれた。元気溌剌な逞しい女の子である。彼女自身「勉強もバイトも両方頑張っている」ということである。確かめたわけではないが、多分そうであろう。彼女と日頃私が接している学生たちとの間には、埋めがたい心意気の差を感じられる。彼女には強いオーラで輝いているのだ。
 日本の学生生活では偏差値の高い低いに拘わらず、学生は本当の意味で「学び」の喜びを味わうことが少ない。真理の探究などと大袈裟なことまで言うつもりはないが、日本の学生で今日、知ることの喜びを本当に理解している者はどれくらいいるだろうか? 何が残らなくても単位だけは欲しい。極端であるかもしれないが、大学はそれだけの存在になり下がっている。それと比較してBYU-Hの生活は勉強もプライベートも充実度ははるかに高いであろう。
 ただ私はあおいチャン賛歌を述べる一方で、密かに彼女の将来を心配している。わが国に彼女を受け入れる社会が果たしてあるのだろうか? またアメリカに残るにしてもこの不況である。彼女に活躍の場が与えられるのだろうか? 折角文字どおり海外に雄飛し、意欲的に多くを学んでもそれを生かす場が用意されなければ、如何にも悲しい。そうした社会を作るのが大人の責任であるはずなのだが…。