鳩山問題は何が悪いのか?:この期に及ぶメディアの悪あがき

 二人の元秘書が起訴され、昨日(24日)は鳩山さんの弁明会見で終始した。折角のイヴなのにご苦労なことである。この問題を巡ってはまたぞろメディアなるものが街頭インタビューに繰り出して、「庶民感覚に欠ける」「国民は怒っている」「黙っていない」などのコメントを引き出し、「世論の大勢は鳩山辞めろ」ということだとの結論を無理やり誘導しようとしている。
 しかしそれにしてもメディアという存在はいったい何を目指しているのであろうか? ネットを含めてメディアが玉石混淆的に“超”多様化している今日、全国紙各社・在京テレビ各社等の大メディアに求められるのはクオリティーである。にも拘らずに相も変わらず、ステレオタイプ的に単純形式正義を振りかざす中で、「こんなリーダーは辞めてしまえ」という結論を導き出すことしか出来ない。だから新聞離れ、テレビ離れが起きてしまうのだ。
 考えて見て欲しい。日本国をここまで悪くしてしまったのは、司法・立法・行政すなわち法曹・政治家・官僚の三権力だけではない。これに加えてメディアの責任もいっとう重い。そのことの反省が足りないでいて、鳩山批判を貴方たちは本当に出来るのか? 胸を張って出来るというメディア人がいれば、満天下にその意気を是非示して欲しい。
 メディアは庶民の味方ぶって世論を煽る。しかしながらメディアの担い手はそもそも庶民なのか? テレビに登場するキャスター・アナウンサーの類は高収入である。子育て手当に嘴を挟む彼らの大多数は2000万円の所得制限を課したとしても、ほとんどが対象外となる1%の恵まれた人たちだ。そういう人たちがなぜ庶民なのか?
 政治家に透明性を求めるのであれば、新聞記者やテレビに登場する人たちはみんな公人である。その年収と資産を名札に明記して登場すべきである。そうしてこそ初めて、その発言の真意が確かになる。要は庶民でない人に、庶民面しないで欲しいということだ。
 鳩山さんに戻る。鳩山さんはお母さんから直近の5年間に9億円(総額12億6000万円?)もの大金を貰っていたが、秘書が全てを仕切っていて本人はそれを知らなかった。その事実を本人が知るのは司法の追及があってはじめてということだ。結果としてこのおカネは贈与と認めざるをえず、したがって税金を6億円払うこととした。顛末を単純化すればこういうことであろう。
 しかしながら政治資金規正法の法令違反であることは間違いないとして、これの何が悪いのであろうか? 政治資金規正法という法律は、政治資金の出し入れについて透明性を確保することが第一であるが、近年の改正は政治家自身が政治にカネがかかりすぎることに音を上げたことの要因が大きい。だからこそ血税を投入する形で政党助成金の制度なども導入された。繰り返すが、現行のシステムでは政治にカネのかかりすぎることが問題の本質なのである。それをさて置いてカネの入手ルート・方法にばかり目を光らせるが、それでは問題の根本解決にはならない。
 政治にカネがかかるのは、一にも二にも選挙である。決して政策立案などではない。翻って選挙の勝ち負けは偏に個人的問題である。政党助成金の最終的使い道もほとんどが選挙対策であるとするならば、選挙の個人的な勝ち負けに血税を注ぎ込むことはどう考えてもおかしい。
 鳩山さんも政党助成金の恩恵を被っていることは間違いない、だが政党幹部としてそれでは足りないから、おカネ持ちのお母さんの援助を仰いだ。この行為は政治資金規正法という法律の範疇では罰に値するかもしれないが、おカネの出所ははっきりしている。これまでの同法違反による告発では、第三者から有形無形の職権を濫用して集めることが多かったわけである。今回の鳩山問題はこれらのケースとは明らかに性質が異なる。
 元秘書は、「正直に、資金の源泉がお母さんあるいは鳩山さん個人からのものがほとんどということとすれば、鳩山さんの支持母体が脆弱であることが露呈する懸念が高じるために、こうした献金偽装を行った」と証言しているとのことである。鳩山さん自身がその事実を知っていたか知らなかったかは別にして、この説明は一定の範囲で納得のいくことである。
 なおこの説明が正しいとすれば、鳩山さんは母親から個人的に贈与あるいは貸付を受け、払うべき税金は払って、これを政治資金として投入すればよかったのだ。それだけのことではないのか? 私は鳩山応援団でもなんでもないが、この問題についてこんなに大騒ぎする必要性がやはりどうにも分からない。微々たる事業仕分けの結果にも、一喜一憂したのはつい先のことである。結果オーライではあるが、鳩山兄弟から合わせて10億円もの追加的税収が得られるわけである。もう、それで矛を納めてもよいと考えるのは私の浅慮であろうか?
 そう思うのは以下の理由が大きい。安部・福田・麻生と3つの内閣が連続して1年ももたず、また鳩山さんもということとなれば、普天間以上に国際的信用を失墜させることに繋がるのではと考えるからである。軍部の跳梁もあって戦前の内閣は総じて短命であり、結果としてガバナビリティーを決定的に欠落させることとなった。そうしたガバナビリティーの欠落が先の大戦を呼び込んだわけである。
 こうした歴史に学ぶならば、今わが国が急がなければならないのは、何を置いてもガバナビリティーを回復させることである。自民党政権末期の3内閣は決定的にガバナビリティーを欠いていた。ガバナビリティーの欠如は国際政治においてよいことはひとつもない。ガバナビリティーの回復には“持続性”が大前提とされなければならない。何をどうしても短命政権ばかりであってはならないのである。
 他方、内閣支持率がハネムーン期間を経て下落の一途を辿っているということである。そもそも世論調査自体よく分からない存在であるが、仮に、こうした調査が本当に民意を代表しているとして、3ヶ月やそこらで何の判断が出来るというのだろうか? 鳩山さんや小澤さんの政治資金問題は選挙前から分かっていたことである。それを知った上で国民は民主党政権を誕生させた。今はっきりしているのは、3ヶ月前に民主党に政権が与えられたということだけである。訳の分からない世論調査の結果など論外であるはずだ。
 鳩山さんのリーダーシップ不足が指摘される。それはそうかもしれないし、民主党の政策に全て賛成なわけではない。だがわれわれ国民は決して評論家ではない。民主党政権を誕生させたスポンサーであるし、何よりもそのことに責任がある。足を引っ張るのが仕事のメディアに惑わされることなく、是々非々でわれわれはこの国難を乗り切らなければならない。
 鳩山問題は多分に小事である。雑木に囚われすぎて、森が見えなくなってしまっているのが現在のわが国の姿である。繰り返すが、旧態依然たるメディアはもういい。既に役割を終え、大淘汰時代が始まった。その悪あがきが、大衆受けを狙った小事を挙げ連ねて世の中を引っ掻き回すことだけであるとすれば、淘汰はますます加速化されるであろう。メディアにとってもはや他山の石など存在しない中で、メディアは未だ明確に意識していないようであるが、鳩山問題はその踏み絵なのである。