緊急事態宣言

 とうとう七都府県を対象に緊急事態宣言が発せられた。テレビ報道では、宣言初日の今日、銀座はまさしく閑古鳥が鳴いていた。気持ちとしては一刻も早く事態が収束して、平穏な日常が戻って欲しい。しかし元に戻ったら戻ったで、心配の種は尽きない。特に経済についてはどうなってしまうのか? まさしく未曾有の出来事なので、想像するだに怖ろしくなってしまう。

 ただこの不幸を奇貨として、新しい社会づくりを考えることもヒトの知恵なのではないだろうか。新型コロナ騒ぎも元は経済優先・利便性優先で、ヒトが自然動物のサンクチュアリに踏み込んだことが原因ということも言われている。ヒトの侵出を許さないためのバリアがウィルスということなのかも知れない。世界の人口はああれよあれよという間に増え続け、80億人を窺うところまで来てしまった。

 1960年代に30億人であったものが、ほぼ10年ごとに10億人づつ増え今日に至っているわけだ。勢いヒトは生存のためにフロンティアを広げざるをえず、自然環境や自然動植物との間に壮大なバトルを繰り返している。ヒトは既に、限られた地球という物理空間に収まりきらないプレゼンスに達している。ウィルスは意思を持って活動するわけではない。ヒトの侵出によって、宿主である動物の生存が脅かされると、ウィルスは侵入者に牙をむく。森の奥深くでひっそりと佇ませてもらえていれば、決して攻撃的にならないものを、自らを守るために重い腰を上げざるを得ない。

 感染症の流行は、地球環境を維持しつつ、自然界の動植物の共存共栄を保証するための神の意志と考えるのは少しファンタジーすぎるであろうか? 昔、ウィルス研究者が「ウィルスが意思を持っているとしか思えない」と呟いているのを何かで見た記憶があるが、色んな意味で、世界秩序の維持には見えざる”手”が働いていると考えた方がご合理的であるような気がする。

 いずれにしても、私は、新型コロナの問題は、広く人口問題と考えるべきだと思うのである。この狭い地球に80億人の人が犇めき、濃厚接触しなければ生きていけない構造が出来上がってしまった。刹那的に見れば、経済合理性は濃厚接触の中でこそ、十全に機能する。その経済学神話に踊らせられて、われわれはここまで来てしまった。そのスケールとしてのGDPは何を与えてくれるのだろうか? 永遠の成長、持続的株高など、ありえないにも関わらず、”成長率”が前年を下回っただけで、不況だ不況だと騒ぎ立てる。

 新型コロナは詰まるところ、経済の問題に繋がるのは間違いない。そして、今までと同じような経済運営を図れば、お先真っ暗になってしまうのも間違いない。だが、経済活動は何のためにあるのかということを追求すれば、違う目も開けるはずである。兎に角、走り続けなければ成立しない経済構造など絶対におかしい。現在の問題が一段落すれば、鋭意この問題に焦点を当てて真剣に議論しなければならない。

 我が国では少子化について、何がなんでも出生率を上げなければ経済がもたないということで、産めよ増やせの大合唱である。GDPをスケールとする経済学の枠組みでは確かにそうである。だが現在世界中で問題にしなければならないのは、この地球には重すぎる人口の存在である。日本でも、37万㎢の国土に1億3千万人はどう考えても多すぎる。中国が典型的であるが、こうした過剰な地球人口が感染症流行の呼び水になっているのだとすれば、考えるべき問題は無限にある。今こそ人類の英知を総動員しなければならない。