これまでのこと、これからのこと

 今日から新年度。私は本日から、晴れて?天下の素浪人だ。これまで職場は何回か変わったが、まったくの無所属は初めてのことだ。暇になったことだし、何年かサボってきた、このブログを頑張って再開しようと思う。

 しかし世の中あれよあれよという間に、とんでもないこととなってしまった。人類は感染症との闘いに終始して来た。古くは、ペストにコレラ結核スペイン風邪。少し新しいところでは、HIVエボラ出血熱、それにSARSにMERS。思い浮かべてみると、病気の名前が次から次に想起される。加えて地球温暖化はもとより、予想される首都圏直下型地震、創造の範囲を超える自然災害。

 これまでの穏やかだった生活環境が急速に侵され始めている。リスク因子が俄かに高まって来たわけだ。こうしたことは、識者の指摘によってわれわれは少なからず意識をして来たことである。それがなかなか具体的な検討にまで進んで来なかったのは、やはりカネの問題が大きいのであろう。

 今回の新型コロナ騒動においても、政府の自粛・休業要請に対して、その金銭的補償問題が早々とクロ-ズアップされている。この解決が図られなければ、ロックダウン等の有効な対応策も先には進められないわけだ。国民の命がカネと天秤にかけられているということになろう。

 この件に関して、私が不思議でならないのは、この問題がいよいよ顕現化して、まだ一月ばかりにすぎない。にも拘わらず早々と、あちらこちらでギブアップ宣言。中小・零細、フリーランサー等々が可哀想だと言い、野党・マスコミがこの時とばかりに仰ぎたてる。だけど、われわれが冷静に考えなければならないのは、先進各国とは財政事情がまったく異なることだ。税収と同じだけの借金をしなければ回らない。そんな財政事情で本当に大盤振る舞いしていいものであろうか? 今この急場を何とか凌いだとしても、その尻拭いをどうすればいいだろうか?

 今囁かれているのは、株価急落に伴う、日銀の債務超過への転落である。中央銀行債務超過は問題ないという論者もいるが、それもこれも市場がどう判断するかということである。わが国は対外純債権国であるので、他の純債務国のように海外からの資金引き上げが、即ファイナンシングに影響することはないかもしれないが、日銀が内外において信用を失うことに繋がるのは間違いない。差し当たっては円が売られ円安になる。しかし現下のような世界同時不況が懸念される局面では、円安の輸出促進効果は期待出来ずに、輸入物価の上昇効果だけが残ってしまう。

 新コロナ対策は一にも二にも感染拡大に力を注ぐべきであり、現段階で損害の補填を同時進行で議論するのは得策ではない。誤解のないように付け加えるが、補填をするなと言っているのではない。財政規律を維持しなければならないと言っているのでもない。新コロナ終息後にやって来るのが、厳しい状況であることは間違いない。だけどそうした厳しい状況の中でも、若い人たちはこれからも生き抜いて行かなければならない。ウィルスは克服しても、乗り越えられない問題が山積みでは何をかいわんやである。

 小田原評定では困るが、さりとて無定見な猪突猛進ではさらに困ってしまう。こうした場合に頼りにしなければならないのは、政治家と官僚である。しかしながら、今の野党を含めた政治家先生方には、政治家としての矜持はみじんも感じられない。国家的危機に際して改めて確認されるのは、われわれ国民がいかに”選良”を選んで来なかったかということである。いい加減な選択が今、ブーメランとなって帰って来ていることを、私たちも襟を正して猛省しなかればならない。