トヨタ凋落の第二章:章男氏の社長昇格

 予め断わっておくが、私は主義として世襲が大嫌いである。だから今日の日記は予見と偏見に満ちている。そのことを予めご了解頂きたい。
 今朝(9日)の日経新聞によると、トヨタ自動車の次期社長に同社の実質的創業者喜一郎氏の孫である章男氏の昇格が固まったということである。このまま無事昇格がなれば章男氏は第11代社長となる。トヨタという会社は実質世界一の大自動車会社でありながら、章男氏を含めたこれまでの11人の社長中実に6人が豊田姓を戴いているわけである。これ以外にも中興の祖と言われる三代目社長石田退三氏は豊田家の遠戚に当たる。押しも押されもしない同族企業である。
 ただご案内のように、英二氏、章一郎氏、達郎氏と豊田家社長が三代続いた後、直近の三代は奥田碩氏、張富士夫氏、渡辺捷昭氏と所謂番頭社長が続いた。その後を受けての章男氏の登板ということである。渡辺氏の続投も囁かれる中での交替劇だけに、私の中では「今、なぜ」というクエスチョン・マークが頭を駆け巡る。
 この「今、なぜ」に対してトヨタは、「かってない緊急事態に直面して、グループの危機感を”高める”ために敢えて章男氏の昇格に踏み切ったのだ」と、一応の説明はする。豊田家の御曹司を戴けば求心力が高まるという発想のようであるが、これを意地悪く解釈すると「馬鹿殿を戴けば否が応でも危機感が”高まる”」とも読める。いずれにしても平時ならいざ知らず、未曾有の危機という認識の中で章男氏はそれを解決する能力を本当にお持ちなのであろうか?
 以下は一般論である。章男氏を直接存じ上げもしないのに、勝手に人物像を想像することについて反則技であることは充分認識している。しかしながら敢えてタブーを押して、人物像の想像に踏み込むのはトヨタが単なる田舎の同族企業ではなく、社会の否、世界の公器であるからに他ならない。繰り返すが以下は飽くまでも一般論である。
 一般論の第一。世襲は必ず組織に衰退を齎す。経済界ではないが、小泉以降、安倍、福田、麻生と続いた世襲政治家内閣が如何にわが国を疲弊させ、国民に災厄を齎したかは議論の余地のないところである。なお同じ同族支配でも血縁の弊害を熟知する、例えば鹿島などは婿養子による世襲を工夫して来た(現在では、そうした同族色も薄らいでいる)。
 一般論の第二。大トヨタはグループ全体で約30万人の従業員を擁する。単体でも6万5千人である。章男氏は誰の目にも30万あるいは6万5千の中でダントツに優秀な力量を本当にお持ちなのであろうか? 確率論的には決してそんなことはないと思う。章男氏以上に長の適材はいるはずである。もしいないのだとすれば、大トヨタも知れたものである。
 一般論の第三。章男氏は慶應高校の上がりで慶應法学部を卒業し、米バブソン大学でMBAを取得したということである。章男氏の時代には今の慶應と異なり法学部は「アホウ学部」と言われていた。それも附属からの上がりである。私が勤めていた組織の人事部は慶應に限らず附属からの上がりを”要注意”として扱っていた。またバブソンは起業でこそ有名であるが、トップクラスとはとても言えない。もっとも麻生さんのように箔づけに行っただけの人から見れば、学位を取得しただけ偉いことは偉い。
 こうした一般論から推測されることは、章男氏は下から慶應に行った筋金入りのお坊ちゃま。会社に入ってからも乳母日傘で、側近の効が大。そして決して修羅場は潜らないし潜らせない。こんな姿が見えてしまう。
 トヨタの従業員はこうした御大将を戴いて本当に奮い立つのであろうか? 私がトヨタの従業員であれば逆に却って意気消沈してしまう。世襲の一番いけないところは当たり前のことではあるが、より適材の人材をそのポスト(社長)から排除してしまうことである。私には直接関係のないことなので看過すればよいことであるかもしれない。ただトヨタの頓挫はわが国経済に多大な影響を及ぼす。そうした意味では必ずしも他人事とは言えない。言うべきことを言っておく意味はある。
 しかしよく考えても、新旧の大番頭さんたちがこの時期になぜ章男氏の昇格に踏み切ったのかはやっぱりよく分からない。ただ言えるのは、100年に一度の危機に瀕してなお、無邪気に創業家の求心力に期待しているのだとすれば噴飯ものである。またそれ以上に自らが泥を被ることを回避するために、御曹司に責任を押し付けることが画策されているとすれば一層性質が悪い。いずれにしても困ったことではあるが、大トヨタの先も見えてしまったということであろうか。