鳩山さん、自爆テロのご決断を!

 内閣支持率が低下の一途を辿るのは、普天間のような相手のある話は兎も角として、手のつけることの出来る問題に一向に手をつけていないからだ。国民が安心して暮らすためには、現役世代では雇用・住宅・教育が、また退役世代では年金・医療・介護が最優先課題と言えよう。これらの問題を解決するためには当然おカネがかかる。どちらにしてもこのままでは、早晩財政破綻を免れることはできない。
 財政破綻を免れるためには消費税を含む税制の抜本的改正が必要である。法人税に、景気変動や企業の国際競争力上の問題があるとすれば、残りは個人税しかない(法人税については別途議論したい)。これに手をつけない限りわが国の途は開けない。要は、相続・贈与税累進課税、消費税税率の議論をタブー視しないということだ。
 小泉政権は「頑張る人が報われる政治」ということをキャッチフレーズに掲げた。「頑張る人が報われる」のは当たり前のことである。誰も反対はしない。しかし「頑張り」には色々な側面があるわけだ。小泉政権が当時の人気と裏腹に一転して批判を浴びているのは、この「頑張る人」が「カネ儲けに邁進する人」と同義だったからにほかならない。
 「カネ儲けはできなく」ても、日本国民として「頑張って世の中に貢献する」名もない人々はいくらでもいる。こういう人々が現役の時代も、現役を退いたあとも例え少々貧しくても安心して暮らせる。そうした社会を目指すのではなく、「頑張る人」の代表としておカネ持ちはドンドンおカネ持ちに、「頑張っても」貧しい人はドンドン貧乏にといったような、格差是認的制度設計が図られたことが問題視されているということである。
 その典型例が税制のフラット化である。わが国の税制は累進度がきつすぎるということで、徐々に税制のフラット化が図られてきた。財務省資料によって、所得税・住民税合計の最高税率推移を見てみると、1974年93%、84年88%、87年78%、88年76%、89年65%、2000年50%ということである。このように、わずか四半世紀の間に最高税率は43%も引き下げられたのだ。
 またこの間2000年には、それが65%から一挙に50%へ15%も引き下げられたことが目立っている。それと2007年の改正では合計最高税率こそ変わっていないが、住民税はそれまで所得に応じて5%、10%、13%と三段階の税率が適用されていたものが、一律10%に完全フラット化している。結果、おカネ持ちの可処分所得はますます増えることなり、低所得層との所得格差は拡大方向へ向かう。達観すれば、これが「頑張った人が報われる政治」の正体であるわけだ。
 ではなぜ税率は引き下げられなければならなかったのか? その根拠としては、諸外国に比べてわが国の税金が高すぎることが第一にあげられていた。しかし財務省の調べでは、わが国の最高税率は米国などと比べて既に必ずしも高いわけではない。課税の実体を表す所得段階別の実効税率を見ると米・英・独・仏との比較においては、給与収入3,000万円以下の層ではこれはどの国よりも一貫して低い。因みに給与収入3,000万円の最高率はドイツの約40%、最低率は日本の約30%ということである。
 すなわち諸外国に比べて税金が高すぎるという話は間違いであったわけだ。このような低負担の状態で、高いレベルの政府サービスを求めることのできないことは明らかであろう。フィンランドの人に直に聞いた話では、高福祉国の代表であるフィンランドでは税引き後の給料明細を名前を伏せて誰のものであるか当てっこをしても、ほとんど社長と社員の区別がつかないということである。高福祉の国ではその反対給付として高負担が当たり前ということだ。
 しかしながらこうした国でもノキアのように、世界市場を席捲する企業は育っているわけである。竹中(平蔵)さんに代表される市場原理主義者は口を開けば、「儲けた果実を個人に厚く配分しなければ、企業経営のインセンティブが殺がれる」と言うが、それに対する反論はこういったフィンランドの例を見れば十分ではないのだろうか。少なくとも経営マインドに関するインセンティブは、純粋に経済的メリットの追求ということだけではなさそうである。
 翻って、欧米とりわけアメリカの経営者は巨万の富を得て一線を退くと、フィランソロピストすなわち慈善事業家になるケースが甚だしく多い。わがビル・ゲイツさんもビル&メリンダ・ゲイツ財団という慈善事業組織を立上げ、アメリカにおける荒廃した高校教育の修復、マラリア結核エイズの撲滅などに取り組んでいる。この財団にはオマハの賢人ウォーレン・バフェット氏も一枚噛んでおり、同財団の資産規模は既に600億ドル(6兆円)規模に達していると言われている。なお好事魔多し。自由市場主義思想の申し子と自他共に認めるであろう、あのジョージ・ソロスさんなども慈善団体を立ち上げ、事業に勤しんでいる。
 アメリカのおカネ持ちはわが国以上に税金は嫌いである。彼らが税金を嫌うのは、政府が自分が考えるようにはおカネを使わない場合が多いからだという。基本的に政府は信用できないということであろう。手許におカネが残るような税制を支持し、最終的にそのおカネを、自由に自らが信じる社会貢献に向ける。
 一方、日本のおカネ持ちは世界のおカネ持ちとケタが違うにしても、ゲイツさんやバフェットさんのように政府の社会福祉事業を補完するほどの慈善事業を立ち上げたケースは、最近とみに聞かれない。わが国のおカネ持ちにそうした気概がないとすれば、昨今の税率フラット化は「グローバル・スタンダード」の観点から見て、明らかにおかしい。「いいとこ取り」のオンパレードである。
 加えて消費税(付加価値税)にも触れなければならない。ご案内のように消費税については、欧米諸国では概ね20%前後以上の税率を課しているところが多い。消費税は逆進性の傾向の強いことが批判の中心となる。一方、所得税はその累進性が問題とされる。整理すれば高所得者所得税で×、消費税で○、低所得者所得税で○、消費税で×ということとなろう。単純にはこの限りでは痛み分けである。
 要するに今後、所得税の累進度を高めること及び消費税率のアップは絶対に必要であるし、わが国再興のためには避けることのできない途ということである。現在わが国における個人の税務負担は、所得税においても、消費税においても国際的に低水準であるわけだから、税率アップは、「グローバル・スタンダード」の観点からまごうことなく、市場原理主義者の大好きなイコール・フッティングに寄与することとなる。
 さらに国内においても高所得者低所得者の対立軸は、所得税最高税率アップと消費税の税率アップを組み合わせることによって、絶対的負担の上昇は、それぞれが痛み分けることによって相対的にイーブンとなる。
 いずれにしても冒頭述べたように、このままで推移すれば早晩国債市況の暴落局面は必ず訪れる。市況が暴落すれば金利が上がり、国債による新たな資金調達は困難となる。すなわち財政破綻である。それを避けるためには、悠長な議論をしている暇などないということだ。ここでは意識的にややトリッキーな論法を採用したが、個人税の負担増は絶対に避けることができないことは間違いない。
 なお腐っても鯛。わが国のGDPは500兆円を維持し、中国に抜かれるとか抜かれないとかの議論は別にして、未だ世界に冠たる経済大国である。経済大国ということは大きな担税能力を持つということである。わが国はこれまで経済大国の底力を発揮することなく、ことごとく税負担を回避してきた。したがって「持てる」経済帝国としての底力を発揮するためには、相応の税負担を覚悟しなければならないということだ。無い袖を振るわけではない。ある袖を振るのだ。そうすれば危機は必ず克服することができる。
 しかしこれまで分かってはいても、それができなかったのは政治家に意気地がなかったからだ。わが身や自党の選挙の結果ばかり気にして、それが政治と言い切ってきた。だがそもそも政治はそんなものではないはずだ。時点時点の評価は、気まぐれかつ無知な有権者次第で如何様にも移ろう。世論調査の浮き沈みを気にしていては、何もできない。
 そこで鳩山さんにお願いしたい。貴方はおカネに困らない。例え政治上の権勢一切を失っても生きていくことはできる。とすれば、思ったことを思ったようにできるということである。そこが下々とは違うところだ。税率を上げて内閣が吹っ飛び、民主党が崩壊したとしても、鳩山さんの名前は日本再興の最大の功労者として、必ずや100年後、200年後にも語り継がれる。政治家としての冥利はそこに尽きるのではないのか。
 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。鳩山さんは鳩ではあるかもしれないが、それ以上に「友愛」精神に溢れた人間である。決して虎ではない。道は自ずから決まっている。民主党内外、あるいは政府内外に不人気な政策を一身に背負うことは、鳩山さん、貴方の特権である。
 税率アップは、他人から見れば自爆テロと謗るかもしれない。しかし国債の問題は待ったなしの確実な時限爆弾である。このままでは必ず爆発する。そうなっては遅いのである。今手を打たなければ100年の禍根を残すこととなる。税率アップも普天間も断崖絶壁に違いはない。けれど普天間で躓いての退陣は、恥のみが残ってしまう。鳩山さん、貴方の100年後の名声のために是非ご決断下さい。