章男社長の会見に見る「トヨタ凋落の本格的幕開け」

 昨年1月9日の本欄に『トヨタ凋落の第二章:章男氏の社長昇格』という、日頃の私からぬ?少々品の悪い文章を書いた。そこでは、100年に一度という経済危機に際して、「今、なぜ御曹司を担ぎ出さなければならないのだろうか?」という疑問を提示する中で、いくつかの理由から「トヨタは凋落に向かう可能性が大きい」ことを指摘した。

 その時考えた理由は第一に、「世襲は必ず組織に衰退を齎す」こと。第二に、「大トヨタである。章男氏以上の適材は必ずいるはずである」こと。そして何よりも第三に、「章男氏の力量がクエスチョン・マークである」こと。この三点であった。以下、章男氏の力量に関する疑問について”まま”に書き出してみることとする。

「章男氏は慶應高校の上がりで慶應法学部を卒業し、米バブソン大学でMBAを取得したということである。章男氏の時代には今の慶應と異なり法学部は”アホウ学部”と言われていた。それも附属からの上がりである。私が勤めていた組織の人事部は慶應に限らず附属からの上がりを”要注意”として扱っていた。またバブソンは起業でこそ有名であるが、トップクラスとはとても言えない。もっとも麻生さんのように箔づけに行っただけの人から見れば、学位を取得しただけ偉いことは偉い。」

「こうした一般論から推測されることは、章男氏は下から慶應に行った筋金入りのお坊ちゃま。会社に入ってからも乳母日傘で、側近の効が大。そして決して修羅場は潜らないし潜らせない。こんな姿が見えてしまう。」

トヨタの従業員はこうした御大将を戴いて本当に奮い立つのであろうか? 私がトヨタの従業員であれば逆に却って意気消沈してしまう。世襲の一番いけないところは当たり前のことではあるが、より適材の人材をそのポスト(社長)から排除してしまうことである。」

 以上である。しかしながらこの時は飽くまでも一般論から推測したにすぎない。だが昨日(5日)の章男氏のリコールに際しての会見では、端無くもこれが一般論の胸騒ぎに止まらず、その懸念が現実のものであったことを露呈してしまった。私の勘が当たったということだ。

 なぜそう思うのか? その理由の第一は、トヨタの未曾有の危機に際してノー天気でありすぎたこと。兎に角、一部車種のブレーキペダルの不具合への対応は遅すぎた。経営感度の鈍さと慢心が傷口を広げた。

 理由の第二は、著しく危機感が欠如し無責任であること。今般の会見が遅れたのはダヴォス会議に出席していたからということのようである。ダヴォス会議は正式名こそ世界経済フォーラムとものものしいが、何のことはない国際的セレブリティの言わばサロンである。会社の大事より虚栄心を優先させる。これは御曹司の哀しい性であるのかもしれないが、それにしても哀しすぎる。

 理由の第三は、やはり世界№1企業のトップとしては風格がなさすぎること。会見では用意されたメッセージを棒読みするだけで、全く反省の意が伝わって来なかったし、目が泳ぎ、頬をぴくつかせる度量のなさは世界に冠たる大トヨタのトップのものではない。これでは海千山千の内外の経営者に互してやって行けるはずがない。

 先のブログにも書いたが、章男氏への大政奉還は、終身名誉大番頭?である奥田碩さんをはじめとする大番頭さんたちの大きな意思決定であったのだろうが、しかしよく考えても、彼らがこの時期になぜ章男氏の昇格に踏み切ったのかはやっぱりよく分からない。またなぜ章男氏はそれを素直に受けてしまったのかもやはり未だよく理解出来ない。まさか道化覚悟の大英断であったのではないだろうが…。

 トヨタが本当に100年に一度の危機に瀕してなお、無邪気に創業家の求心力に期待していたのだとすれば噴飯ものである。またそれ以上に自らが泥を被ることを回避するために、(大番頭さんたちが)御曹司に責任を押し付けることを画策したのだとすれば一層性質が悪い。いずれにしても、大トヨタの先も見えてしまったということを改めて確認した昨日の会見であった。