鳩山政権を今見捨ててよいのか?

 昨日発行された4月27日付け「日刊ゲンダイ」に、『機密費食い逃げ疑惑に新証拠―前官房長官河村をビビらせた野中広務の告白―』というセンセーショナルな見出しが踊っていた。これは19日に放送されたTBSのニュース番組「ニュース23」における野中さんの発言から引用したということである。この番組は見ていないので真偽を確かめようとユーチューブにアクセスしたが、TBSからの著作権侵害の申入れにより既に削除されてしまったあとだった。
 本来官房機密費はその性質に照らして決してソースを明らかに出来ない、国益上極めて重要な情報を収集するために、政府に委ねられた「秘密」使途の経費ということであろう。それが野中氏の発言によって、「大半がそうではない使途に使われてきた」ことが明らかになったというのが、ゲンダイ紙の伝えるところである。
 官房機密費を巡っては政権交代直後の昨年9月に、当時の河村官房長官が2億5,000万円もの金額を引き出したとして、大阪市の市民団体から背任容疑などで東京地検に告発されているのは周知のところであろう。野中さんのこうした爆弾発言には、河村さんとしては大いにビビらざるを得ないわけである。
 TBSの放送は見ることが出来なかったので、「ゲンダイ」の記事に従うこととしよう。同紙によれば「これはもう公私混同どころのレベルではなく、税金ドロボー、公金横領ともいえる驚愕の実態」と前置きされるなかで、「総理の部屋に月1,000万円。衆院国対委員長参院幹事長に月500万円ずつ持って行った」「政界を引退した歴代首相には盆暮れに毎年200万円」「外遊する議員に50万円〜100万円」「(小渕元首相から)家の新築祝いに3,000万円要求された」という証言が紹介される。加えて「(政治)評論をしておられる方々に盆暮れにお届け」がされていたということでもある。これが真実だとすれば、まさに数々の驚愕の事実が白日のもとに晒されたわけである。個人的にはあの小渕さんすら新築祝いを要求していたとは、正直な話、ショックを通り越している。
 鳩山首相小沢幹事長の「政治とカネ」の問題は不透明ではあるが、少なくともあからさまに公金に手を付けたものではない。とりわけ鳩山さんのカネの出所はお母さんからのものであることがはっきりしている。この問題は谷垣さんを始め自民党の諸氏が挙って批判をしているが、盗人猛々しいとはこのことであろう。
 民主党政権はよれよれである。鳩山さんは確かにリーダーシップに欠けるかもしれないし、小沢さんはやはり旧弊を引きずる悪代官の印象が拭い切れない。内閣支持率は低下する一方である。しかし自民党政権の数々の悪行が次から次に明らかにされたことは、政権交代があったからこそのことである。予め想像はしていたが自民党が流石にここまで酷いとは思わなかった。
 自民党を割って出た舛添さんは日曜(25日)の各局のテレビ番組に出演して、「厚労大臣時代に、国民目線に立った政策を展開しようと思っても、党内の族議員に足を引っ張られることばかりであった」と語り、「(族議員が跋扈する)政策調査会などは本来的に要らない。(民主党が)政策立案を政府に一本化したことは評価出来る(ただし小沢問題がなければ)」と民主党にエールを送っていた。政治的発言だとしてもこの相当部分は本音であるだろう。
 私たちは政治(家)に常に絶望してきた。しかし絶望しているだけでは一向に埒が開かない。3年前の参院選、昨年の総選挙などは、国民がそうした絶望から希望を取り戻すための一大行動であった。「権力は腐敗する」とは言い古された言葉である。そうした腐敗の一掃に国民が駆られたということである。
 事業仕分けは、私は好きでない。政治家先生は兎も角、素性のよく分からない民間委員の活躍も気に入らない。だが昨日のURで明らかになったように、多額の税金を投入する中でファミリー企業を乱立させグループとしての自己増殖を図る。方法は色々あるにしても、現独立行政法人=旧特殊法人の組織論理は、URが露呈したものとほぼ同じである。政策遂行を大義名分に、税金を使って誰かが私的に旨い汁を吸う。そこに政治家先生が巧妙に絡む。そして首が回らないほどの借金の山。独法の全てがそうではないことは承知しているが、大半はそんなところである。
 繰り返す。こうした旧弊を一掃して「新生日本」を目指すことが、政権交代の大きな意義であった。今鳩山さんがおかしいとか、小沢さんが無礼であるとか、言い出したらきりがない。世論調査によれば内閣支持率は20%台の前半まで低下したということである。後継の首相として舛添さんや前原さん、菅さんの名前が上がる。だが彼らに首班をすげ替えたとしても、目に見えて事態が好転することはない。気に入らなければまた首相を首にするのだろうか?
 鳩山さんが普天間で躓いて退陣することになれば、自民党政権以降4回連続で政権が1年ともたないこととなる。これで本当にいいのだろうか? 個人的には、高速問題も、子供手当も、普天間も、そして民主党の先生がたのチャイルディッシュな様など、気に食わないことばかりである。
 それでも私は「鳩山頑張れ!」と言いたい。鳩山さんは如何にも「甘ちゃん」である。政治家のくせに、おカネ持ちで浮世の苦労をした経験がないことも腹が立つ。だが普天間問題は、未知数の数だけ方程式が用意されているわけではない。米国を含めて誰かがどこかで妥協しなければ解決は図られない。要は首をすげ替えても問題解決は簡単にはいかないということだ。
 鳩山さんは「県外移転」を公約としたことで、パンドラの箱を開けてしまった。鳩山さんは「沖縄県民の苦しみを思うと、そう言わざるを得なかった」と真情を吐露している。この発言を100%信用していいかどうかは分からない。だがここまで正直な首相をわれわれは戴いたことがあるだろうか?
 最近あまり聞かれなくなったが、鳩山政権は「友愛」ということを政策の基本軸としている。多分鳩山さんの理想はブレることなく、そこにあることは間違いないであろう。科学技術立国、成長戦略、日本再起動計画等々、経済政策は勿論大事である。しかしながら経済あっての国家ではない。国家として何を追及するのかという大方針があって、経済はそれを実現するための方法論にすぎない。
 小泉政権下では市場原理主義的な政策が採用され、「規制緩和」あるいは「官から民」への流れを作りさえすれば、さまざまな問題が解決されるかのような幻想が撒き散らされた。その問題とは、財政赤字であったり、企業の不振であったり、はたまたGDPの凋落であったわけである。その結果として「頑張る人が報われる国づくり」ということが掲げられた。
 しかし「頑張る人」とは誰のことなのであろうか? 投資銀行コンサルティング・ファームなどでせっせと金儲けに励む人々のことであろうか? 市場原理主義の追求は結果的にそうした金儲けに励む人たちに有利な制度である。こうした制度のなかでは勝ち組は飽くまでも勝ち組で、負け組は何時まで経っても負け組である。それを国家目標としたということだ。
 それと比べれば鳩山さんの「友愛」思想は抽象的ではあるが、はるかに血が通っている。場合によって鳩山さんは、オーエン並みの「空想的社会主義者」と指弾されるのかもしれない。「空想的社会主義」は、マルクス陣営からまさしく「空想的」ということで批判された。しかしそこに横たわるのはヒューマニズムが第一義である。
 リーマン・ショックは、グローバル・スタンダードとしての市場原理主義の欠陥をあからさまに露呈した。そして併せて、市場原理主義的な世界が唯一の救い主でないことも明らかとした。国としての信念を実現する方法は複数あるということであり、まずは国として何を大事にしてそのためには何を実現すべきかということが大事であるわけだ。鳩山さんの「友愛」思想は未だ生煮えであるが、私は国民的議論として、是非ともこの「友愛」の中身を追求すべきであると考える。そのことが首相の首を何度もすげ替えることより、はるかに重要であるように思われてならない。