一つの会社のあり方:野老真理子さんに学ぶ

 先週の土曜日は、房総九十九里で不動産管理を中心とした事業を営む大里綜合管理株式会社社長の野老(ところ)真理子さんの話を聞き、会社の一つのあり方を考えた。
 野老さんの会社は典型的な中小企業である。だがこの会社は一風も二風も、他の中小企業とは行き方が違っている。中小企業だてらと言ったら野老さんに怒られるであろうが、まず彼女と彼女の会社は地域貢献に一生懸命なのである。
 現在野老さんの会社が実施している社会貢献活動は、ラッシュ時駅前の交通整理、近隣道路の清掃、50km・100kmウォーキングの企画運営、コミュニティ通信の発行、学童保育など多彩である。こうした社会貢献を社業の傍ら、30人程度の社員でこなしているのである。野老さんによれば毎年売上の1%を社員教育に当てており、社会貢献活動も社員さんは本業の一つとして自然に受け入れているとのことである。
 また社内には託児システムもあり、子育て真っ盛りの社員さんたちはそれが利用出来る。託児システムと言ったのは、会社の託児施設と言うと、ついつい立派な器があって専任の保母さんがいてという姿を想像してしまうが、そうした世界ではないからである。野老さんはその様子をNHK等が取材したビデオで見せてくれた。
 子供を連れて出社した社員さんは子供を別室に隔離するのではなく、自分の傍らに侍らしつつ仕事に臨む。そして本人が外出しなければならない時には、他の誰かが子供の面倒を見る。商談が一方で進む中で、同じ空間で子供が”お絵描き”している様は異様と言えば異様だ。だがお客様も社員さんも一向に違和感を感じている様子はない。すっかりその光景に慣れてしまっている。
 こうしたことが可能であるのであれば、基本親が子供の面倒を見るのであるから、それ以上のことはない。考えて見れば、昔は八百屋さんの店先でも田圃の畦道でも、お母さんが負んぶ紐で子供を背負い、仕事をしながら子供をあやしている光景は別段珍しいものでも何でもなかった。野老さんの会社も時計の針を少し昔に戻したということなのであろう。それを会社の制度として認めたということである。
 学童保育もそうである。学校帰りの子供たちが会社に「ただいま」と言って帰って来る。それを社員さんたちが「お帰り」と迎える。この学童保育にも専用の部屋があるわけではない。会議室が使用中であれば、子供たちはオフィススペースを掃除したり、社員さんの雑用のお手伝いをして時間を過ごす。専任の保母さんなどいないので、年長の子供たちが小さな子供の面倒を見る。それだけのことであるが、学童保育の機能としては充分に果たしている。しかも大勢の目があるので安全でもあるわけだ。
 こうした貢献活動は基本的に野老さんの会社の持ち出しである。だがその一方で、地域の人たちの野老さんおよび野老さんの会社への信頼はとても強くなる。不動産を扱う仕事なので地域貢献が短期的な業績に直結するわけではない。しかし地域の人たちに不動産売買などの必要性が生じた時には、やはり培った信頼性が物言うことが多いということだ。「土地を買うなら大里綜合、部屋を借りるのも大里綜合」ということである。
 野老さんの会社は、「これは資本主義社会の会社ではない」と言う人も多いであろう。確かにこれはコミュニティ・ビジネスの発想に近いのかもしれない。だが彼女の会社は短期的には出費が多いかもしれないが、長期的には元をとっている。それより何より社員さんたちの会社への参加意識や忠誠心が強く、したがってモラルも高い。価値観の違いはあろうが、ウォール街で何億何十億と稼ぐ経営者の下で働く人たちと、野老さんの会社で働く人たちのどちらが幸せであろうか?
 9月29日に開催された日経新聞セミナーの感想について、2回に亘って本欄で書かせて頂いた。その中でライフネット生命副社長の岩瀬大輔さんは、自らのビジネススクール体験を踏まえて、「米国では”株主価値”とは言うが、”企業価値”などとは言わない」と仰った。つまり会社は株主のものということであろう。翻って土曜のセミナーでは、「野老さんにとって会社とはどういうものですか」という私の質問に対して、野老さんは即座に「私にとっての会社は社員さんは元より、地域の人を含めた関係する人たち全てを幸福にする存在です」と仰った。
 野老さんと岩瀬さんのビジネスでは規模は圧倒的に違うし、対象とする範囲も勿論異なる。だがそうした相違とは別に、われわれが「会社とは何か」を考える時に、一方で野老さんの会社のような行き方があることを忘れてはならないであろう。そんなことを考えた。