「I」さんが亡くなった

 職場の大先輩で、私の人生の中でもっとも尊敬して止まない「I」さんが亡くなった。否、1月にお亡くなりになっていたので、正確には亡くなったのを知ったと言った方がよいであろう。知ったのは、丁度1週間前の先週16日(金)のことである。奥様からお知らせ頂いた。知らせを聞いて、不覚にも涙が止まらなかった。人が亡くなって涙が止まらなかったのは、父が亡くなった時以来のことである。
 お知らせ頂くのに間が空いたのは私の不精のせいである。「I」さんには20年以上もお会いしていなかった。最後にお会いしたのは「I」さんが退職して間もなくの時だった。だが心の片隅に「I」さんは何時もいた。そのうち会いに行かなければと考えつつも、ついついご無沙汰してこうした結果となってしまった。
 何時も几帳面な「I」さんからの年賀状を今年は頂かなかった。だから秘かにおかしいとは思っていた。おかしいというよりは、不吉な予感を感じていたと言ったほうがよいかもしれない。だから問い合わせるのが怖かった。お知らせ頂いたのは、昨年ほぼ1年間かけて書いた小論をお届けしたことが切っ掛けとなった。そのお礼のお電話かたがたお亡くなりになったことをお知らせ頂いた。
 この小論は私のこれまで考えて来たことをまとめたもので、「I」さんには誰よりも先に是非お読み頂きたかった。そして何時ものように厳しくも暖かいご指摘を頂きたかった。だがそれも叶わぬ夢となってしまった。もし「I」さんの動静をもっと身近なものとしていたならば、生前にお読み頂くべく何としても励んだものを…。それもこれも私の不精のせいですべて台無しにしてしまった。
 「I」さんは東大法学部出身のわが社のエリートであった。加えて人格識見いずれも優れに優れ、接した人間は誰も彼もが慕って止まない方であった。兎に角優しい方であった。だがそんな素晴らしい方であるのだが、私が初めてお会いした時は病を得て下半身が不自由になっておられた。したがっていわゆる出世コースからは残念ながら外れておられた。「I」さんに期待していた人はみんな、「I」さんが健康であったらと悔しがったものである。みんなトップになって欲しかったのである。
 「I」さんは不屈の闘志の持ち主であった。それまでのエリート街道まっしぐらの生活から一転、理不尽な環境に晒されたのであるから通常は腐ってしまって当然である。だが「I」さんは決して消沈することなどなかった。常に柔和で、生意気盛りの私なんぞの書生論にも辛抱強くよく耳を傾けて下さった。そして何時も的確なコメントを下さった。健常人の私が「I」さんを支えなければいけないのに、逆に何時も励まして頂いた。
 「I」さんはそうした不自由な身体であったため、障害者用に改造し、手だけでアクセル操作やブレーキ操作の出来る車で、会社に通っておられた。当時は金融機関もまだ土曜が休みではなかった。「I」さんと私は家が同じ方向だったために、毎週と言っていいくらい土曜は「I」さんの車に同乗させて頂いた。その帰途の小一時間が、当時の私にはとって大いに楽しみであり、かつ貴重な時間であった。至福の時間と言ってもよい。
 車の中では政治の話、経済の話、文学や歴史の話、そしてたまには家族の話なども、お互いによく話し合ったものである。「I」さんは経済人ながら文化人であった。学識が深いのである。何時も教えて頂くことばかりで、私にはその車の中は“I”学校あるいは“I”塾であった。ただし教えられる一方でもなく、当時スタートしたばかりのタモリの「笑っていいとも」など、下世話な世界は私が教えて差し上げた。
 「I」さんの車に乗せて頂いて忘れられないのは、東京には珍しい雪の日のことであった。鳩山さんの音羽御殿から田中角栄邸や椿山荘方面に向かう目白坂は結構な急坂である。前を行くトラックはチェーンを巻いていた。それにも拘わらず坂を登りきれずに立ち往生していた。エンジンを吹かしても一向に前に進まない。ついにはスリップが高じて道路との摩擦で火花が散る始末。そしてとうとうずるずると私たちの車めがけてずり落ちて来た。
 そんな状態でも「I」さんは果敢に坂を登ろうとする。まだ若く命の惜しかった私は迂回を勧める。でも「I」さんは一向に譲らず真っ直ぐに進もうとする。結局「私は北海道出身です。泣く子と雪には勝てません」。そう申し上げてやっとのこと、迂回路を選んで頂いた。「I」さんには私の実は臆病なさまを見透かされてしまった。しかし私は私で「I」さんの一徹さを垣間見てしまった。われわれに対する普段の優しさは、自己克己のなせる技であったのだ。甘えてばかりではいけないと心底思った。
 「I」さんの思い出は尽きない。私に出来る最大のご恩返しは、これからも生きている限り「I」さんとの思い出を大切にすることだと思う。この1年の間に、私のことを理解し支援して下さった、Kさん、Tさん、Sさんが相次いでお亡くなりになった。こうした方々のご逝去で気落ちしていたところへ、「I」さんの訃報。歳を重ねるということは辛いことである。