戦争を知らない”老人たち”フォーエバー

 私の学生時代はベトナム戦争のさなかにあり、70年安保反対を象徴とする反戦運動の嵐が吹き荒れていた。そうしたなかで、「戦争を知らない子供たち」がリリースされた。私たちは戦後生まれで、まさしく戦争を知らない”子供たち”ど真ん中の世代であった。そうした当時の子供たちも時を経て、今では戦争を知らない”老人たち”となった。生まれてこの方72年間も戦争を知らなかったのだから、それだけで私たちはこの僥倖を噛み締めなければならない。
 今回の総選挙では改憲が主要な争点とされる。改憲については枝野さんも決して否定していない。改憲”賛成”か”反対”かという構造にされると、反対派は一言一句憲法を変えることに反対していると受け止められがちであるが、そうではない。今回の憲法をめぐる論議は、有体に言えば、憲法を改正して公明正大に”戦争出来る国”にするのか、引き続き”戦争しない国”であり続けるかの選択が問われるということだ。
 そうした目で見れば、自民・希望・維新等は前者。立憲民主・共産・社民等は後者ということになる。なお自民は今回の選挙で大幅に議席を減らしたとしても、希望・維新を抱き込んでまで改正発議に必要な2/3の勢力確保することを画策しているとも言われる。安倍政権は支離滅裂な説明しか出来ないにも関わらず、どうして改憲を急ぐのであろうか。いずれにしても単純に”賛成”か”反対”かと言われても、有権者の多くは途方に暮れる。マスコミは、今回の選挙は改憲”賛成”・”反対”の対立構造などではなく、はっきりと「戦争できる国にするのか」・「戦争しない国であり続けるか」の選択であることを明確にする責任があると考える。そうすれば有権者はどちらを支持するのしても、誤解のない選択をすることを可能とするであろう。
 翻って今朝の新聞では、NGO核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞の記事が大きく取り上げられている。そして同NGOの会見では、「この受賞が”被爆者”と共によるものであること」が表明された。7月に国連で採択された”核兵器禁止条約”はICANの推進によるものである。同条約には唯一の被爆国である我が国は参加していない。核兵器廃絶は世界の民意である。北朝鮮の暴虐ぶりが如何に目に余ろうとも、核には核のエスカレーションでは対応出来ないことはもはや明確である。
 今後検討すべきは”北”に核を使わせないことである。”38ノース”の研究によれば、米朝が武力衝突し”北”がソウル・東京へ核を使用した場合死者は210万人、負傷者が770万人にも上るとの結果が示される。不戦憲法の下70年もの長きに亘って、私たちは戦争を知らない”子供たち”から戦争を知らない”老人たち”の時代を享受して来た。僥倖に恵まれたということであるのかもしれないが、過去の70年を将来の70年に繋げることに知恵を尽くすことこそ必要ではないのか。早急な憲法改正はそうした道を閉ざしてしまう。そのためもあって、枝野さんには期待せざるをえないわけだ。戦争を知らない”老人たち”フォーエバー。