緒形拳さんの死を悼む

 緒形拳さんが亡くなった。緒形さんは「鬼畜」や「復讐するは我にあり」のような鬼気迫る役柄を演じたかと思えば、「ゲゲゲの鬼太郎」での大妖怪”ぬらりひょん”のような肩の力の抜けた役も演じる。
 よく役者さんは役者馬鹿ということが言われ、不器用なのが名優の条件のように言われることがある。緒形さんはそうした見方とは全く対極にある役者さんだったと思う。”器用な”名優という稀有な存在であった。
 緒形さんは急死と伝えられている。ただ一部報道によれば以前から肝臓ガンを患っており、それが悪化したためということのようでもある(これを書いている時点では確認出来ていない)。
 緒形さんが亡くなって、PPK(ピン・ピン・コロリ)ということを考えた。緒形さんはこのほどクランクアップしたばかりのドラマ「風のガーデン」で老医師役を最後まで務め、その直後に亡くなった。
 PPKというのは、昨日まで元気に働いて今日コロリと死ぬことである。ガンを患っていたのだとしたらPPKの定義からやや外れるかもしれないが、大きくはその範疇であろう。人が亡くなるということは、本人も勿論のことと何より周りが辛い。如何に天寿を全うしようが、残された者の喪失感は量り知れない。
 だが長い目で見れば、何時か人間は死ぬわけである。悠久の時間の流れの中では、晩年の十年、二十年の歳月は一瞬の瞬きの間に間のことにすぎない。末期に問われるのは、如何に有意義に、かつ自分なりに満足の行く人生を送って来たかということであろう。
 そうした意味で緒形拳さんは、一種の理想的な亡くなり方をしたと思う。もっとも望んでもそうした死に方が出来るわけではない。
 しかしその条件を整えることは出来るであろう。いきなり下世話な話になってしまうが、例えばメタボ健診。この導入の意図は見え見えで、国が個人のお腹を出っ張らせないように関与することなど、本当は噴飯物である。ただその考え方の方向性は正しい。
 これで成人病が防げるのだとすれば、個人にとってもハッピーなことだ。理想とするPPKに一歩近づくことが出来る。もっとも緒形さんを理想とするには、私はステージが低すぎる。問題は死に様より生き様ということであろうか。振り出しに戻ってしまった。
 最後になるが、緒形拳さんのご冥福を心よりお祈りする。合掌。