止まらない株暴落:ここまで来たら行くところまで行くのでしょう

 週明けも株価の暴落は止まらず、NY市場では「ダウ工業株30種平均」の終値が6日9,955.50ドル7日9,447.11ドルと2日連続で1万ドル台割れとなった。一方わが国でもこうしたNY市場の流れを受けて、「日経平均株価」は4日連続で下落。7日の終値が1万155円90銭と1万円台割れ目前の水準となっている。因みに、開いたばかりの8日の東京市場は1万円台を大きく割り込む形で取引が展開している。
 不愉快なことではあるが、昨今の市場の性格から言って行くところまで行かないと下落は止まらないであろう。こうなった以上政策当局の打つ手はない。誰も想定出来ないような巨大な不良債権リスクを抱え、また「下落しても儲かる仕組みがビルトインされた」市場を持っている限り、仕方のないことである。それはわれわれの不明である。
 後者の最たるものは「カラ売り」である。下落を見越して「借りて来た」株を売り、値下がりが期待値に達したところでそれを買い戻して鞘を稼ぐ。こうした制度が認められている以上、株価の下落は際限なく続く。当たり前のことである。私の悪い頭では、カラ売りは市場参加者のメリットこそ理解出来るものの、国民経済的な意義は一向に理解出来ない。
 青臭いことを言う。飽くまでも株式投資は投資した企業の「将来性を買うもの」であって、市場からの退場を促進することの行為で儲けるものではないはずだ。制度として国や取引所がそれを認めるのはどういうことであろうか? そうした制度を認めていながら株価の暴落にあたふたするのは不思議しい。
 結局種々の構造的欠陥を金融市場が抱える以上、弥縫策ではとても通用しないということだ。米国の金融立国が如何に虚構であったかが証明された今こそ、その宿痾を正すためにも、金融という”なりわい”の制度設計を抜本的に見直すべきである。
 この場合、第一に、金融を公的インフラと明確に位置づけること、第二に、間接金融と直接金融の峻別を図ること、第三に、巨大金融機関を容認しないこと、第四に、マネーゲームの巣窟となるような市場の仕組みを改善すること、第五に、金融は国防と同等の安全保障に関わるものとの意識を国際的合意とすること、等々検討課題は数多い。
 市場原理主義者が主張するように、「市場を自由にして自由な商売をやらせ、不具合が出て来たらルールを見直せばいい」という考え方が通用しないのが金融の世界である。金融の制度設計には理念と理想が必要なのである。そのことを強く認識しなければならない。
 翻って麻生さんの言う景気対策も同じことである。多分現状の経済環境を前提とすれば、小手先の対策は砂漠に水を撒くようなものである。経済が成長活力を失う理由としては、その国の未来を国民が信用しなくなることが一番大きい。年金、医療、安全、どれをとっても不安が付き纏うような状況で誰がリスクを犯して投資するというのだろうか?
 麻生さんはかって優秀な経営者であったことを本当に自認されているのであれば、そのことはよくお分かりのはずである。右肩上がりの高度成長期ならいざ知らず、1億の国民がことごとく成長意欲を失った現下の環境では、理念・理想のない政策は無意義の最たるものである。またぞろ借金の山である。