海外でなければ学べないこととは?:ゲートウェイ21の破産申立に思う

 大手留学仲介会社ゲートウェイ21が破産申立をしたことに注目が集まっている。私はこの業態に詳しくないが、いくつか不思議なことがある。
 第一は、こうした”単純な”仲介斡旋業者がなぜ経営破綻の危機に瀕したのかということである。必要な経費というのは主に人件費と広告宣伝費ぐらいであろうから、資金が回らなくなることは大変不思議なことである。まして媒体として重要なパンフレットの印刷代にも事欠くというのは、どういうことなのであろうか?
 第二は、留学の中身である。インタビューを受けている被害者の大部分が語学留学ということのようであるが、語学学校を終了したあとは向こうの大学に本格的に留学するということなのであろうか?
 「”本格的に”海外の大学で学びたい」という志向の人は、国内で相当程度の語学力を身につけ、その上で足りない部分を海外の語学学校で補完するというのが大体のパターンと、私は認識していた。
 ところがこの騒動を見ていると、どうもそうではないのである。目的自身が語学の習得ということのようなのである(間違えていたら御免なさい)。
 以下、ゲートウェイ21の主要顧客が語学習得目的の留学生であるということを前提として書く。
 NOVAの時にも感じたことであるが、多くの人は何のために語学を学ぶのであろうか? 語学を学ぶためにはその先の目標がなければならない。そうでなければ高いお金を払ってわざわざ海外で学ぶ意味はない。
 「外国語が話せれば格好いい」「外国人とペラペラ話してみたい」「就職に有利」という程度であれば、海外で学ぶ必要はないであろう。
 『国家の品格』の藤原正彦先生は、「語学など必要になった時に学べばよい」と言われ、「一に国語。二に国語。三四がなくて、五に数学」ということを主張される。したがって小学生から英語を教えることも否定される。”日本人”力、”日本語”力がなくて何が外国語だということである。
 今回の事件において百万単位で被害に遭われた方は気の毒だと思うし、同情もする。第一の疑問で記したように、仮に杜撰な経営が行なわれていたとしたら無論経営者は言語道断である。
 だが介護を食い物にしたコムスンの時のような怒りが込み上げて来ないことも事実である。こうした不具合が生じるとまたぞろ行政の怠慢が指摘され、規制強化の声が上がる。だが規制にはおカネ(=税金)がかかるわけだ。何でも規制、規制というわけには行かない。自己責任の考え方が重要である。
 今回の場合、大事なのは何のための留学かということを、そもそも当事者は今一度考える必要があるということだ。留学までして自分を磨くというのであれば、なぜ直接先方の学校に自らがアクセスしないのであろうか? ネットの世界である。情報収集は容易であろう。
 全て手続きなど面倒臭いことはお任せでは、まるで年配者相手のパック旅行だ。業者に頼らずに自分の手でやっていれば、こうした事件は起きなかった。それが出来ないでいて留学、留学と言うのであれば、何をか況やである。皆さんは若いのであるから、その愚について是非気がついて欲しい。