参院選:タレント候補のどっちらけから夢想すること

 11日の投票日に向けて、参院選はいまやたけなわである。職場の窓の下を選挙カーが走り回り、街はざわめいている。しかし何かが違うのだ。昨年の総選挙と比べると大きく盛り上がりを欠いていることは間違いない。選挙よりワールドカップ。国民のもっぱらの関心は政治にはないのであろう。
 このことは国民が単純に飽きっぽいからではない。政党の責任が大きい。真に政治家の資質が認められる候補者が如何にも少なすぎるからだ。例えばタレント候補。谷亮子さんを筆頭に思いつくままに列挙すると、堀内恒夫さん、三原じゅん子さん、庄野真代さん等々。与党も野党もない。相変わらずタレント候補は百花繚乱である。
 民主党さくらパパ横峯良郎さん)で懲りているはずなのに性懲りもなく、また少なからぬタレント候補を担ぎ出す。政党が彼らの能力に期待しているわけでないことは、誰の目にも明らかである。にもタレント候補。民主党へは世直しへの期待が大きかったわけだ。しかし従来の自民党以上に節度のないことをやっているのでは、そうした期待もしぼんでしまう。
 要するに今回の選挙が一向に盛り上がらないのは、相も変わらず“チェンジ”に踏み出すことの出来ない既成政党に、国民はまたぞろ倦んでしまったからだ。政界ばかりでなく、財界も官界もありとあらゆる分野で人材が払底していることは周知の事実である。だが探せば政治家の適格者はもっといるはずだ。少なくともタレント候補を基準とすれば、適格者はもっともっと多い。
 もはや死語であるのかもしれないが、かって参議院は「良識の府」と言われた。衆議院で政党の利害が剥き出しにされていたとしても、参議院では良識に優れる議員諸氏によって大所高所からの議論を展開し、政党政治の行き過ぎのチェックを図る。被選挙権者の最低年齢を30歳に定めたのも、参議院議員には良識が求められるからだという。はるか昔の小学生時代、社会科の授業で確かそう教えられた。
 だが今の参議院はその理想からは程遠い。第二衆議院もいいところである。法案をスムーズに通すために数の論理を金科玉条とする。これでは衆議院との差別性が一向に分からない。衆議院と同じ理屈で議会運営が図られるのだとすれば、詰まるところ参議院など要らないということだ。
 現行の政治改革の議論は議員定数の削減ばかりが先行しているが、その前に二院制の意義を真剣に考えなければならない。その上での政治改革であろう。そこに政党政治の論理を持ち込むのであれば、参議院など要らない。だが政党政治の本質が数の横暴であるとすれば、それをチェックする機関は必ず必要である。
 私自身は原点に立ち返って、参議院を「良識の府」に復興させなければならないと考えている。政党政治から距離を置くために、議員の政党所属は認めない。良識がよく機能するように、議員資格として一定程度“実”社会で活躍した経験を必須とする。そのため被選挙権年齢を40歳程度に引き上げる。定数は最低限(100名程度)。選挙区は全国区一本。政治屋を排除するために、再任は2期12年等々。そして肝心なのは参議院議員はボランティアであること。そうすれば政治は確実に変わる。
 そんなことを夢想しながら今回の選挙を考えると、私自身もはやどっちらけで興味が湧かない。だがささやかな国民の責務として選択肢は狭いのだが、少しでも私なりの理想に適う人物を選びたいと思う。辛い選択である。