小泉さんはやはり”政局”の天才

昨日本欄に小泉純一郎さんは郵政改革とか市場至上(原理)主義とか四の五の言わないで、自民党をぶっ壊してその時点でお辞めになったらさぞかし歴史に残る名政治家になったであろうと書いた。
まさか小泉さんがそれをお読みになったわけではないだろうが、昨日政界からの引退宣言を出された。言ってはみたものの少々びっくりしている。
元来政治家の資質としては政策立案・実行能力と政局を読む力の二つが求められると思う。残念なことに最近この二つを兼ね揃えた政治家はほとんどいない。政策に強ければ政局に弱く、政局に強ければ政策に弱い。政局に強いということは選挙に強いということでもある。
政治家は高い志操を持ち政策立案能力に優れても、選挙に弱ければ始まらない。だから政局に強く選挙に強い人が勢いリーダーシップを握ることとなる。
民主党なども政策集団であるはずが、「選挙に勝つ」の一言で、小沢一郎さんが権力を掌握した。
政局に強い政治家は政治=政局と認識する傾向が強い。政局は手段であるはずなのにそれが自己目的化してしまっている。
国民が政治に倦んでいるのは、政治が政策ではなく政局になっているからだ。
小泉さんに戻る。小泉さんは「郵政民営化なくして改革なし」を旗印に5年半の長きに亘って総理大臣を務めた。これだけ見ると小泉さんは政策の人であるような印象を受ける。しかしそれは違う。彼の場合、政局が政策実現のための手段であるはずが逆転してしまっている。つまり政策が政局実現のための手段化してしまっているのだ。
小泉さんは何か政界に新風をもたらしたような錯覚をもたらしたが、彼の政治は結局”政局”追求型で他の自民党のお歴々と少しも変っていない。小泉改革はイリュージョンなのである。竹中平蔵さんや高橋洋一さんなどが盛んに小泉改革の継承を訴えているが、彼らも学者の端くれであるならば、素直に天の声・地の声に耳を傾けるべきである。害毒の垂れ流しは我慢できない。
昔東大総長を曲学阿世呼ばわりして物議を醸した総理大臣がいたが、実体として曲学阿世の存在はある。議論が分かり易ければ分かり易いほど、国の指針を過たせる場合が多い。そのことを銘記すべきである。
小泉さんが政策の人でないのは、もう一つ後継に次男の進次郎さんを当てるとしていることだ。もし進次郎さんが首尾よく当選した場合、選挙区を小泉一族が四代続けて独占することとなる。
本欄で再三書いているように、小泉さんが自民党をぶっ壊し新しい時代を切り拓くというのであれば、世襲はもう止めにして欲しい。世襲から派生する種々の不公平に国民が怨嗟の声を上げているというのに、それに気がつかないのは小泉さんはやはり”政局”の政治家であって、”政策”の政治家ではないからだ。
小泉さんが本当に日本国のことを考えているのなら、進次郎さんに地盤を継がせるというようなケチな考えは止めて欲しい。もし進次郎さんに政治家としての才能を認めているのなら、自らの力で這い上がるよう、全く地盤と関係ない他の選挙区から出したらいい。その時に初めて、今回の小泉”引退”劇場が画竜点睛を”得る”こととなるであろう。