ポピュリズムの危険性とタレント知事

 政治が、政策と政局からなっていることは常識である。政局とは「政界の情勢」ということであるが、詰まるところは選挙である。政治家先生の大事なお仕事は「政策立案」であることは言うまでもない。だが実際は政策と政局を秤にかければ、先生方にとっては圧倒的に政局の重いことは周知の事実である。
 政局などと言わずに選挙と仰って頂けば、われわれにも分かり易いのに、先生方はなぜか政局という言葉をお使いになる。結局政局・政局とお騒ぎになっても、これは次の選挙で自らが当選出来るかどうかという個人的関心以外の何ものでもない。そうした先生方の思惑はそれとして、基本的にわれわれ有権者は、特定の先生が当選しようがしまいが、そのことに格別の関心はない。正しい(?)政策を展開して欲しいと思うだけである。
 当たり前のことであるが、勿論政策は政局に優先する。だが議員先生たちの優先順序は真逆である。昨日書いたように卑しくも一国の首相が、ただ人気挽回のためだけに、ロケット迎撃を考えたという事実があるのだとすれば、言語道断であることは論を待たない。結局高度なレベルにおいても、政局(=選挙)が政策に優先するということである。
 翻って小沢さんに辞任を促す先生方も基本は同じことである。小沢さんでは選挙を戦えないから、辞任を求める。それだけのことである。ここには政策あるいは国民への関心が一向に感じられない。そうした先生方が、政治家としての矜持を本当にお保ちになりたいのであれば、民主党をお辞めになればよい。脱党して、自らの力で選挙を勝ち抜けばよい。それが出来る自信がおありにならないのであれば、潔く政治家稼業から足を洗うことだ。その方が、小沢さんがお辞めになるより、はるかに世のため人のためになるであろう。
 もっとも政治家先生の立場で考えると、そうは言っても有権者のご機嫌取りをしなければ選挙に勝てない。選挙に勝てなければ政策もへったくれもない。その思いは理解出来ないことではない。
 そうした中で厄介なのは、有権者の“ご機嫌取り”の正体がポピュリズムであることだ。民主政治において、もっとも悩ましいのはポピュリズムの跋扈である。政治家先生が、政策に真っ向から取り組めないのも、選挙ばかり気にしなければならないのも、ポピュリズムの妖快が横行しているからと言ってよい。
 先々週の千葉県知事選で森田健作さんが当選した。また宮崎の東国原英夫さん、大阪の橋下徹さんに次いで現役三人目のタレント知事の誕生である。タレントも日本国民である以上、政治へ参加していけないとは言わない。だが、われわれ有権者は彼らタレント政治家に何を期待するのであろうか、あるいは期待出来るのであろうか。彼らが当選するのは、ポピュリズムの悪行のなせる業である。
 東京都知事を務めた青島幸男さん、大阪知事を務めた横山ノックさん。彼らは都政あるいは府政にそのような足跡を残したのであろうか。青島さんのおやりになったことは、巨額の保証金を払って世界都市博覧会を中止したこと、横山さんは、選挙期間中の強制わいせつが問題となってお辞めになったことぐらいしか記憶にない。
 東国原さんは、知事就任以来のマスコミへの露出は凄まじく、ヴァラェティー番組を中心に毎日顔を見ない日はない。こうした活動は全て宮崎県のPRということであるが、その反面、知事報酬の2倍にも上る副収入をちゃっかり手にしておられるということである。マスコミが挙って東国原さんを支持しているところから、一層ポピュリズムが掻き立てられ、東国原さんの支持率が沸騰する。そこに東国原さんとマスコミの双方における“Win-Win”の関係が形成される。宮崎県のためと言いながら、そこに本当に宮崎県は意識されているのであろうか。
 一方東国原知事の経済効果として、関西大学大学院の宮本勝浩教授が、「500〜1,000億円に上る」と推計されている。これを宮崎県の人口110万人で割り返せば、1人当たり45〜90千円という実に多大な効果である。12千円にすぎない定額給付金などと比べるまでもなく、その効果の大きさは容易に想像がつくであろう。
 さらに同県における2006年度の1人当たり県民所得は2,150千円ということである。これに照らせば東国原効果によって、所得が2〜4%も押し上げられるということでもある。東国原さんが就任されてからの統計はまだ公表されていないが、宮本さんの試算に従えば、県民所得は少なくとも2%は増加しているはずである。結果が楽しみである。
 もしこうした推計が真実であるとすれば、全ての都道府県の知事さんを皆タレントにしてしまえばよい。千葉県の森田さんも二匹目の泥鰌を狙って、マスコミには極力登場し、千葉県のPRに努めるのだという。まことにご同慶の至りである。「千葉県! 万歳」。
 また脱線した。いずれにしても経済学者と言われる先生方は気軽にこうした試算をされる。だが結果をご当人方は本当に信じておられるのだろうか。こういう推計は総じて結果のみが示されることが多い。そこには前提条件が隠されてしまう。しかし本当に重要な情報は前提条件である。前提条件の吟味によって、その推計のもっともらしさが判断される。
 宮本さんは純粋な学者精神の発揮で、この推計結果を公表したのかもしれない。だがこれもポピュリズムを煽り、東国原さんの人気を高めるための材料となってしまう。宮本さんはそのことまでお考えになって、結果を公表されたのであろうか。
 マスコミの東国原支持は、視聴率向上のためにその人気を利用したということであろう。それはそれで分かり易い。だが学者先生は一部の特異な方々を除けば、功名心に駆られてというケースは少ないであろう。多くは純粋に学問的関心に駆られてのことと理解される。しかしながら確信犯であるマスコミはさておき、ポピュリズムにおいて本当に怖いのは後者である。善意の第三者が一番怖いということだ。
 民主主義における多数決制度がワースト・ベストであることは、多くの衆目が一致するところである。したがって国民・有権者の判断において徒に与件を与えることが、如何にこの制度を危うくしていることかを、有識者はもっと真剣に考えなければならないのである。私が、東国原さんに胡散臭さを感じ、また小沢さんの辞任を求めないのは、ポピュリズムへの怨念と言ってよい。