世襲はなぜ悪いのか?

私は世襲の最大の弊害は”特権”を独占することにあると考える。世襲されても特権を伴わないものであれば問題としない。
わが国では古来一子相伝という考え方があり、学問や技芸の奥義・秘法を自分の子のそれも一人だけに伝えることが常態的に行なわれて来た。
蛙の子は蛙とも言われる。学問や技芸の上達に遺伝的要素が強いとすれば、それは是認出来るものであるかもしれない。だがこれはそこまで考え抜いて伝える者を一人に絞り込んだものであるだろうか?
そういう部分があるとしても、やはり根底にあるのは特権の独占ということであろう。特権があるからこそそうした形がとられる。
卑近な例を考えよう。中小企業では社長の世襲が当たり前のように行なわれる。私の知っている中小企業はほとんどそうである。だがこれはそこそこよい会社だから世襲されるのであって、潰れそうな会社であれば誰も継がない。真理はこれに尽きる。
いくら優秀な社員がいても、その人たちの多くは社長にはなれない。このことは本当はその会社にとってもよくないはずだ。
今中小企業では事業承継が問題とされている。この中心は子息に事業を継がせたいが、税金が高くて継がすことが出来ない。何とかして欲しいというのがその核心である。国もそうした声を受け止めて政策対応を図っている。大げさに言えば、これは世襲の国家的承認である。
繰り返す。世襲の最大の弊害は特権の独占である。事業承継対策は国家的に特権の世襲を是認するということなのである。
国に国家運営の哲学がないからこうしたことが起きてしまう。世襲の弊害を充分に認識していれば、こうした噴飯物の政策など認められるはずがない。
自民党議員の過半数が二世・三世である。麻生内閣の全閣僚のほぼ四分の三が世襲議員である。こういう議員先生たちから世襲の特権を排するというような発想は出て来なくて当然である。この単純な事実に気がつけば、世襲の善し悪しを今更論じる必要のないことがお分かり頂けるであろう。
中小企業は私的存在である。特権独占の弊害は小さい。だが政治家の特権独占は決して許されるものではない。大分の教員採用試験における不正で多くの優秀な受験者が不合格の憂き目を見た。世襲議員の存在は、目に付かないところでそうしたことを生じさせているということだ。議論の余地はない。