それでも民主党を支持しなければならない

 このブログを読み続けてくれている友人から、先週抗議のメールがあった。内容は、私が民主党に肩入れすぎるというのである。彼はかなりの保守主義者であって、靖国問題従軍慰安婦問題、国防問題、教育問題等々、これらに関する民主党の左派勢力の政策を怪しからんとする立場である。そうした立場から、民主党への肩入れは辛抱ならないということである。
 私は確かに今回の選挙では民主党に勝たせたいと思っている。それは事実である。しかしながら世間で言われるとおりに、「自民不信、民主不安」の気持ちが一杯であることも間違いない。すなわち、手放しで民主党を支持するわけではないということだ。本欄でも何回か書いたが、民主党を支持するということが、全ての政策を支持するということに自動的に繋がるのであれば、これは大変困ったことである。また友人の指摘にすべて賛同するわけではないが、やはり左派の人たちの考え方には少なからず違和感がある。
 民主党は右派から左派まで実に多様で、よく言って百家争鳴、率直に言えば呉越同舟状態である。今後政権を首尾よく奪取したとしても、その後の政権運営に「不安」が残ることは間違いない。多くの国民もそれに不安を感じているから「民主不安」なのである。そのためにも、民主党は「細かい」マニフェストに徒に満足するのではなく、骨太の旗幟を鮮明にする必要があるのだ。達観すれば、「細かすぎる」マニフェストは党内諸勢力の妥協の産物ということであろう。だからマニフェストを後生大事に押し抱くわりに、せっかく仏様を作っても魂が入らなくなってしまうのである。
 私が今回民主党政権を待望するのは、わが国においても二大政党制を定着させたいからである。アメリカの共和党民主党は、大きな資本主義経済の枠組みの中で、その拠って立つ思想信条によって方法論を違えている。経済政策で見れば、一方が、相対的に企業擁護の立場にたち、サプライサイド、自由市場経済を重視すれば、他方は、相対的に労働者よりの立場にたって、デマンドサイド、市場外経済(政府の役割)を重視する。
 しかるにわが国では、自民党も、民主党もその旗幟を鮮明としていない。自民党共和党民主党民主党アメリカの)とすれば、話は簡単であるのに、それがそうでないから国民はよく分からなくなってしまう。そうした混乱に拍車を駆けるのはマニフェストである。マニフェストを読んで項目ごとに是々非々の対応を図れば、自民党を支持すべきか民主党を支持すべきかの判断などますますつかなくなってしまう。
 自民党は一旦市場原理主義に乗ったわけである。これに後出しジャンケンであるかもしれないが、民主党が異を唱える。これは国民にとって極めて分かりやすい構造である。ところが訳が分からなくなるのは、麻生さんが「行き過ぎた市場原理主義は修正しなければならない」と仰ったことに代表されるように、自民党の主流が市場原理主義の否定に回ってしまったことである。市場原理主義は一種の信念である。信念を貫徹しないから、自民党は「不信」を託つ。信念の下に市場原理主義を信望したのであるとすれば、それを墨守しないのは政治家の怠慢である。
 なおその信念の正体が竹中平蔵さんであるとすれば、自民党への「不信」はより増幅されてしまう。この前の日曜(16日)のサンデープロジェクトに登場して、竹中さんは「現状の景気回復にはサプライサイド(企業)への対策が重要である。これは経済学の常識である」と仰った。私はわが耳を疑った。「経済学の常識?」。経済学は科学などではなく、絶対真理としての定理などないのである。これまで打ち立てられた経済理論なるものは、絶対真理でないとすれば、「経済学の常識」などありようがないというのが、私の考えるところである。
 それを竹中さんはいとも簡単に「経済学の常識」と仰る。少なくとも天下の慶應義塾大学に席を置く大先生の仰る言葉ではない。このくだりでは正確には「私の支持する経済理論に従えば」と言うべきであった。考えてみれば自民党の先生がたは、この「常識」に幻惑されてしまったのであろうか。だから、一旦支持した政策を「後から実はあの時反対だった」としゃあしゃあとすることが出来るのかもしれない。
 話は飛ぶが1990年代に、ニューヨークで大和銀行(当時)の一トレーダーがアメリカ国債を無断取引して1100億円もの損失を出し、シンガポールでイギリスのベアリングズ銀行がこれも一トレーダーが株式の指数先物取引に失敗して1500億円もの損失を発生させたという事件があった。余談ながらこれを契機として、ベアリング銀行は倒産の危機に瀕してオランダのINGグループに救済吸収され、大和銀行も今はその名前では存在していない。
 この事件で特筆すべきは、未然にチェックが働かなかったのは、一言で言えば上司が無能であったからだということだ。大和証券の例はそう複雑ではないが、海外の証券取引ということでそれをきっちりチェック出来る人材がいなかったのが、その最大の原因である。ベアリング銀行の例はそれと比べるとはるかに複雑である。外国株式の指数先物取引ということで、これは金融新技術の合間を縫っての事件であった。ただこれも大和銀行同様、決済権限を持ちながら取引実務を理解しない人たちがその任に就いたことが、災厄をもたらした。
 こうした事件を思い出したのは、小泉さんと竹中さんの関係からである。小泉さんが善良な上司、竹中さんが悪いトレーダーに擬せられてよいのかもしれない。竹中さんは「経済学の常識」などとの非常識な発言から推して、私は、彼はやはり悪いトレーダーであったと断言していいと思う。問題は小泉さんである。小泉さんが善意の上司であるとしても、少なくともその任用責任、結果責任は免れがたい。要するに頓馬であるということだ。
 頓馬な上司と悪いトレーダーの組合せが、結果的に大銀行を破綻にまで追い込んだ。わが国の政策運営において小泉・竹中のコンビがそれに擬せられるとするならば、わが国経済が破綻の瀬戸際に追い込められたのもむべなるかなである。
 話を下に戻す。私が自民党に徹底的に愛想が尽きたのは、こうした構造を理解出来る賢者がいなかったこと、あるいは気がついていた人がいたとしても、正々堂々と論陣を張りそれに正面きって抵抗した形跡が見られないことである。これは政治家を家業とする世襲議員ばかりを重用し要職を盥回しにしてきた咎である。民主党も問題が多いことは充分認識している。マニフェストも気に食わないところだらけである。
 にも拘らず、民主党を支持するのは55年体制に惰眠を貪り、自浄作用を喪失した自民党に鉄槌を下さなければならないからである。「それでも民主党を支持しなければならない」心中はとても苦しいのである。