公務員制度改革:ノンキャリの絶望を慮れ!

 先週久しく会わなかった友人と一夜酒を共にした。彼は高校を卒業したあと中央官庁に就職した、いわゆるノンキャリである。会った用件は同窓会の幹事会ということであった。電話でうすうす感じてはいたのだが、会った瞬間からその苛立ちが覆うべくもなく伝わってきた。
 彼はこの3月まで再就職含みでとある公益法人に出向していた。しかし事業仕分けに対する事前準備?のためその職を失ったのである。したがって只今現在は体よく言えば浪人、有体に言って失業者が現在の彼の身分である。
 私の知っている限りでは、キャリアも大変である。しかしもっと大変なのはノンキャリである。60歳の定年まで雇用されるが、第二の職場の手当は当然のことキャリアほどには厚くない。私の友人の場合は公益法人に出向したまでは恵まれていたのだが、仕分け騒ぎでオジャンという始末ということだ。
 官僚が国民の目の届かないことをいいことに、勝手三昧やってきたことは事実である。私自身身近にそれを目撃しているし、その限りで異論はない。特に渡りの構造は決して許せるものではない。だが官僚の皆さんも生活者であることに変わりはない。生きていくためにはおカネを稼がなければならない。民主党は出口も考えずに公務員改革に手を付けた。官僚の天下り禁止は正論であるとしても、退職後年金支給年次、までどうやって糊口を凌ぐのか? 本来そこまで考えなければ改革もへったくれもない。
 もっともこの厳しい環境下でどうして公務員ばかり優遇しなければならないのかという疑問はあろう。だが年金の支給年齢を65歳に引き上げ、60歳定年との隙間を作ってしまったことに対して、政府は政策的措置を取らなければならない。公務員も当然その対象としなければならない。これは全国民的課題であるわけだ。
 これまでの公務員制度がおかしいのは、第一に、最初の試験によって一生が決まってしまうこと、第二に、キャリアとノンキャリの不当な区別が歴然と存在すること、第三に、キャリアが天下りによって法外な処遇を受けること、等々である。このなかで第三の問題がより脚光を浴びているが、これだけを叩いても問題は解決しない。いずれにしても公務員改革の問題は、ただ天下りを禁止すればいいというものではないのである。
 公務員の生活権を保証するということであれば、差し当たって定年は延長されなければならない。そうすれば当然のこと人件費は増加する。しかし一方で天下りを禁止した場合、独立行政法人公益法人等への予算はカットされこととなる。公務員改革の視点からは、この問題は、「独法等への予算カット額と人件費増額の差額を極力生み出す」という単純命題に転化される。そうした管理を公務員改革においては可視的に導入しなければならないということだ。
 事業仕分けが無意味な作業であることは、もはや誰もが感じている。こんなものは軋轢と混乱と無駄を生むだけである。むしろ政策課題を政治が明らかにするなかで、一切聖域を作らずに予算の一律カットをかけ、その執行を官僚に任せるという形が現行ではより望ましい。つまり総額予算を与えてその中で官僚に仕切らせるのだ。ただこれは無条件で予算を与えるということではなく、「最低限」実現すべき政策課題は政治が予め与えることとする。それが大前提である。
 民間ではこうした方式は当たり前に実行されている。組織が大きくなればなるほど、企画部門が個別案件の査定を始めればきりがないし、元よりそれは困難である。個々の部門が最低限達成すべき目的を指示するなかで、現場の裁量に任せた方が予算カットはスムーズとなる。きわめて単純な話である。訳の分からない事業仕分けをするくらいならば、「官」においても是非そうすべきであるということだ。
 埋蔵金が何十兆あるのか知らないが、これはいい悪いは別にして、既にどこかで使用されているおカネである。それが引き剥がされるとこれまで回っていた循環がそこで途絶え、血流が次の段階にまで回らなくなることは金融の世界ではよくありえることだ。そこまで注意しないで、「はっあん・熊さん」レベルの議論で裁いてしまうと取り返しのつかないことが起きてしまう。民主党マチュア集団はそのことに全く気づいていない。
 現行の公務員制度は、明治維新以降100年以上の時間をかけて営々と築かれてきたシステムである。その改革は一朝一夕にはいかない。好むと好まざるとに拘らず、改革には時間をかけなければならない。制度システムを議論し始めれば魑魅魍魎の世界に踏み込むこと必至である。こうした場合はシンプル・イズ・ベスト。単純に予算の一律削減目標を課し、そのなかで公務員に自浄作用を発揮させることとすればよい。
 もともと官僚の優秀さは折り紙つきであるはずだ。その知恵を活用しない手はない。財政のパンクは正に秒読み段階に入っているわけで、心差し高い官僚諸氏がこの期に及んで自らの既得権益の死守に走ることはないと信じたい。名目上の既得権益を確保したとしても、財政がパンクしてしまったのでは元も子もない。
 そんなことが分からないはずはない。むしろ、分かっていないのは民主党をはじめとする政治家先生であろう。先生がたが分かっていると仰るのなら、私がこのブログで何度も主張しているように、政党交付金・公設秘書給与を含む広義の議員関係歳費を即半分にするべきである。
 政党交付金は年間300億のオーダーであるし、公設秘書(含む政策秘書)給与は少なく見積もっても100億は下るまい。それに議員個人のポケットに入る収入は全て込みこみで3,700万とすればその定員カケで佑に260億を超える。この合計がざっと660億である。これは少なく見積もっての数字であるから、これを仮に700億とすれば350億、800億とすれば400億の予算が節約されることとなる。
 他人に我慢を強いるのであるとすれば、まず塊より始めよ。率先して歳費の半減に努めて頂きたい。枝野さんや蓮舫さんは、他人を仕分けするより自らを仕分けした方がよいということだ。そうであれば拍手喝采内閣支持率も必ずや鰻登りとなるであろう。こんな簡単なことがなぜできないのか? 不思議でならない。
 それをしなければ官僚とりわけノンキャリの人たちの協力は仰げないであろうし、協力を仰ぐことができなければ、政務三役がいくら笛や太鼓を打ち鳴らしても官僚は絶対に動かない。そんな簡単なことも分からないようだから、ついつい鳩山さんは真正の馬鹿なのかしらと思ってもしまうのだ。