JALが逝く

 昨19日、JALが会社更生法の適用申請を行い、とうとう経営破綻してしまった。負債総額は主要子会社2社を含めて2兆3221億円に上り、事業会社の破綻としては、これまでのそごうグループを抜いて過去最大ということだ。
 JALと私は直接的な繋がりはない。だが日本国民の多くと同様、JALは憧れの存在であった。JALのスッチー(CAではなく)になった同級生はみな見目麗しかった。JALの採用試験は受けてもなかなか受からない超難関であった。JALは輸送実績で世界一の座も獲得した。こうしたもろもろを含めて、JALとりわけ鶴丸マークは躍進日本の象徴であり続けたわけである。
 JALへの熱い思いを語る人が異口同音に指摘することであるが、海外の空港で鶴丸マークの勇姿を見かけると一様に勇気が湧いて来たものだ。特に一人旅の時はなおさらそうである。JALは日本への架け橋であり、あの飛行機に乗って帰れば家族の笑顔に会える。それだけで気持ちが奮い立つのだ。まさにJALが行くである。そのJAL逝ってしまったのだ。
 アメリカを見れば、長い間国際線の雄はPANAMであった。それが何時しかUNITEDに取って代わられ、PANAMは静かに退場した。そして只今現在はDELTAの時代である。アメリカ航空業界の栄枯盛衰はまことに目まぐるしい。そう考えればJALがANAに変わっても、何ほどのことではないのかもしれない。JALへの感情移入が激しすぎるということであるのかもしれない。
 翻って、過度な感情移入を別にしてJALを純粋に企業体として眺めれば、大変興味深い推移を辿って来た。JALはもともと1951年に官色の強い半官半民の国策会社として発足したものである。それが、中曽根行革の方針を受けて87年に完全民営化が図られたわけだ。旧国鉄が典型例であるように、よほど気をつけていなければ国策会社は概して政・官・労の利権の巣窟となりやすい。
 国策会社においては完全国営であるとか、半官半民であるとか、完全民営であるとか、形式的な形態は関係ない。問題は、実質的に誰がガバナビリティーを発揮しているのかとうことである。JALの場合完全民営化して20年以上経ているわけであるが、民営化後も政・官の影響力は強く、そうした意味では国策企業であり続けたと言ってよい。
 “政”は空港新設・新路線開設・航空機種選定において、“官”は天下りにおいて、“労”は法外な権利の主張において、国策企業を滅茶滅茶にしてしまう。国策企業はそうした各自利権のパワー・オブ・バランスから成り立っているわけだ。ここではガバナンスの責任権者が誰であるかは一切不透明となってしまう。単なる無責任体制ならまだいい。だがこうした国策企業の場合、税金の分捕り合戦になることが大きな迷惑となる。
 民営化後も国策企業からの脱皮を図ることの出来なかったことが、JAL破綻の最大の原因である。西松社長以下の現経営陣の責任や株主の責任は重いとしても、国策会社としてのきっちとした総括を図らなければ真の再建はありえない。折しも政治とカネをめぐって民主党は火だるまである。さらに民主党は支持母体としての労働組合問題も抱える。JALが政・官・労の食い物となって破綻したように、民主党は同じ問題を身中に内包している。
 繰り返すがJAL再建には、まず政・官・労で食い物にして来た経緯がまず白日の下に晒されなければならない。神戸空港に降り立つと目と鼻の先に関空が見える。両空港は船で連絡される。神戸の人たちは船に乗れば関空が利用出来るのである。利便性から言えば勿論空港が近場にあることは望ましい。しかしそれも費用対効果の問題である。言うまでもなくこの費用は太宗が税金である。
 私が実際に利用した限りにおいて、もっとも不便な空港は広島空港である。以前広島空港は近場の海岸線にあった。それが新空港は福山市からのアクセスも考えて、それぞれの市内からほぼ小1時間ほどかかる両市の間の山中に移設されたのである。広島市民のみなさんから見れば、以前と比べれば格段に利便性は低くなった。にも拘らず、新空港はここに移設されたのである。
 神戸空港と広島空港を比べれば、どちらが税金を有効に使っているかは一目瞭然である。神戸空港の開設に“政”がどれほど動いたかは知らない。だが何をどう言おうと税金の無駄遣いであることは間違いないであろう。同様に松本、静岡、茨城なども問題視されるわけである。あればよいのと、なければならないでは大違いである。こうしたツケをJAL詰まるところ国民が負担しなければならない道理はない。
 またJALには未だ7つも8つも労働組合がある。これは国労動労ら複数の組合を持っていた旧国鉄と同じ構造である。否国鉄の場合、現場の労働者は国労動労の違いはあっても相対的に利害が一致するところから比較的一枚岩でいたわけであるが、JALではそうはいかない。まず会社側組合と反会社側組合があって、反会社側組合には機長組合、副操縦士組合、航空機関士組合、乗員組合、客室乗務員組合、地上職・整備士組合などが組んずほぐれつしている。
 これまでこれらの組合がエゴイスティックかつ法外な処遇改善を突きつけ、それを会社に認めさせて来た。JALの企業年金がANAに比べて高いとすれば、その実現に労働組合の力が大きかったことは想像に難くない。そのことがJALの高コスト体質を作り出したのだとすれば、労働者は決して被害者ではない。国民に対して彼らは加害者であるわけだ。
 こうした利害関係者の同床異夢がJAL破綻の最大の原因と理解すれば、その総括をきっちりやらないでいては再建計画も何もあったものではない。問題の本質への切込みが如何にも少ないと思えてならないのである。民主党は政治とカネで窮地に立たされているが、JALを破綻に追い込んだのはそもそも自民党政権の無策と利権体質である。
 鳩山・小沢を血祭りにあげるのもいいが、国会ではJAL問題をはじめとする自民党政権下の総括が本当は真っ先に議論されなければならないはずである。国会には自民党政権下の首相経験者がいくらでもいるし、今バッチを外している存命者もいる。彼らを喚問して、国会の場で自民党政権の総括をすることがなぜ出来ないのであろうか?