北海道の観光振興策の間違い:価格政策批判を中心に

 2月2日の日記は感情的になりすぎていたかもしれない。読み返してみると、これではただの食い意地、飲み意地の張った親父のぼやきである。名誉のためにも今日はもう少し冷静に、言いたいことを論理的に整理して書くこととしたい。
 まずは話の取っ掛かり上、企業における一般的な価格決定のプロセスの説明から始めたい。プロセスの第1は、価格設定の目的を定めることである。第2は、需要を推計することである。第3は、コストを見積もることである。第4は、競合先(商品)のコスト・価格・競争力を調べることである。第5は、種々の価格決定方式から方式を選択することである。そして第6に至って、漸く最終的に価格が決定される。
 価格の決定にはここまでのプロセスを経なければならないということだ。観光産業は一企業体が経営するものではなく、実際の値決めは個々の企業に委ねられざるをえないところからコントーロールが難しいことは、百も承知している。観光振興の旗振り役は行政が務めることが多いが、問題は行政がそのプロセスを理解した上で推進を図っているか否かということである。これを理解しているのといないのとでは成果は明らかに違って来る。
 プロセスの第1である設定すべき目的としては、a.利益は二の次で、生き残ることだけを考える、b.需要とコストを考慮しつつ、利益の最大化を目指す、c.コスト削減に努めてシェア拡大を図り、長期的利益を獲得する、d.市場開拓時に敢えて高価格を提示し高級感を煽る、e.品質の良さをなによりも優先させる、等々が挙げられる。こうした目的の下、aとcでは低下価格戦略が、bとdでは高価格戦略が、そしてeでは低価格戦略・高価格戦略の両方が採用されうることとなる。
 見られるように同じく低価格戦略・高価格戦略と言っても、その目的によって期待するところが異なるわけである。結果オーライということもありえるが、期待に即した成果が得られなければ結局その価格政策は失敗したということである。
私見では、観光産業においてはcの「シェア拡大→長期的利益」を目的するのが得策と考える。したがって悪質な一部の観光地のように、どうせ一見さんなのだから目一杯ぼってやろうという精神では駄目なのである。だから私は観光客の印象を左右する価格設定に拘るのである。
 観光産業では、ハードとしての「観光資源」とソフトとしての「ホスピタリティー」の2つが産業の命運を握る二大要素である。たとえば観光立国を誇るイタリアを考えてみよう。イタリアは言うまでもなく、ローマ時代以降の遺跡の宝庫であり、国民性は陽気でフレンドリー。観光客はそれに引かれて彼の地に向けて旅立つ。遺跡の存在は消すことが出来ないが、イタリア人が陰気で好戦的な性格であったら如何であろう。多分塩野七生さんなどがいくら活躍しても、これほど引き付けられることはないのであろう。
 北海道は歴史がない代わりに自然遺産の宝庫である。また元来道産子は口が重く無愛想であるが、正直で素朴。農家でも漁家でも持てる新鮮な食材でふんだんにもてなすのが真情であった。これが本来の道産子の売りであった。温暖化の影響はあるにせよ、自然の状態はそう大きくは変わらない。だが道産子のホスピタリティーはどうであろう。たまに帰る北海道では、そうした心情がすっかり失われてしまっているような気がしてならないのである。これは観光産業を目指す北海道にとって、最大の危機である。
 昔エコノミック・アニマルという言葉があった。エコノミックの冠を戴くのは、その背景に歴史と文化の裏づけを持つ人間の存在が意識されていたからである。野蛮人は決してエコノミック・アニマルにはなれない。同胞であるがゆえに厳しい言い方をするが、北海道は基本的に歴史も伝統も何もない、文化果つる地である。そうしたわが同胞が只管カネ儲けのみに走ったのでは、ただのアニマルである。繰り返す。道産子は正直さ、素朴さがあってこそ始めて愛されるのであり、それを失ってしまっては何の魅力も価値もない。観光振興に当たってはそこまでよく考えて欲しいということだ。
 プロセスの第4は、競合先の研究ということであった。前回比較した福岡などは北と南のよきライバルである。札幌と福岡を比較すると、気候風土を除けば商業都市であること、支店経済の地であること、適当にエキゾチシズムが漂うこと、ラーメンが美味いこと、ススキノと中洲という安全に遊べる二大歓楽地を要していること等々、相似点を挙げれば切りがない。そして両市は全国的に覇を競い、力も拮抗して来た。
 だが最近で如何であろう。居酒屋の料金で比較したように、私見では札幌はすっかり福岡の後塵を拝するようになっていると思うのである。北海道観光の推進者はきっちりとライバルを評価し、対策を考えているのであろうか。私にはとてもそうは思えないのである。
 プロセスの第5は、価格決定方式の選択ということであった。これらの方式について5つ挙げてみよう。それは、a.コストに期待利益を織り込む方式、b.投下資本回収を優先させる方式、c.コストではなく買い手の評価に依存する方式、d.高品質の商品に敢えて低価格を付す方式、e.競合先の価格を意識する方式の5つである。
 これも私見であるが、長期的利益の確保ということを前提とすれば、観光産業における価格設定はc、d、eの方式が優先されるべこであると考える。近代企業における価格設定では当たり前の、利益率の確保、投下資本の回収が優先されすぎれば、観光産業など決して成り立たないからである。この場合に観光産業に属する個々の企業が考慮しなければならないのは、「観光資源」と「ホスピタリティー」という、言わば企業にとっての外部環境が存在して始めて商売が成立するということである。ここでは観光企業はそうした大きな環境の中で、「商売をさせて頂いているのだ」という謙虚さが必要ということを言いたいのである。
 話を元に戻すと、観光産業に属する企業が勝手な行動を採らないためには、行政の責任において、大きな目標・コンセプトを明確にしなければならないということだ。目標・コンセプトが明示されないために、個々の企業はエゴに走ってしまう。観光客を対象とする飲食店、土産物等に関する価格決めにも一定のデシプリンが必要と考えるのである。
 札幌っ子否道産子のシンボルである丸井今井も、民事再生法の適用を申請し破綻してしまった。これについてはまた後日書きたいが、いずれにしても北海道は百年に一度の経済危機の中で、その影響を真っ先に受けることは間違いない。だが一方で環境は環境として、今こそ北海道経済の体質を変えるチャンスでもあるわけだ。
 そのためには何よりも原点回帰が必要である。観光産業などでは特に、徒にかね・カネ・金の拝金主義に走るのではなく、道産子固有の正直さ・素朴さを取り戻すことが必要である。そして次にはお国依存、他県資本(支店経済)依存の体質を抜本的に考え直さなければならない。ヒントとしては、道民所得が全国ベースと比べて低いとしても、これを東京当たりと比較する必要はないということだ。
 何よりも食料自給率の低下が真剣に心配される中でも、北海道のそれはほぼ200%である。エネルギー供給、生産構造等の問題はあるにせよ、単純に考えれば北海道は食料輸入が途絶えても道民は困らないということだ。このアドバンテージの大きさは計り知れない。このことに道民は自信を持つべきである。因みに東京都の自給率は1%である。東京都民の所得がいくら多くても、大袈裟に言えば、生命を維持するだけで毎日毎日綱渡りと状態ということである。安全保障負担コストも含めた実質所得は多分北海道の方が高い可能性もある。
 そうしたアドバンテージを官民一体でしっかり認識した上で、次の一歩を踏み出さなければならないにも拘らず、見物席で見る限り空振り三振の連続という気がしてならない。
 頑張ろう北海道! 負けるなわが同胞!