リスボンの長い坂

 今日は、塚谷正彦『郷愁−リスボンの長い坂−』の読後感を書くこととする。作者の塚谷さんは元伊藤忠の社員で、この本にはタイトルどおりに、彼のリスボン駐在時への郷愁が纏められている。塚谷さんは私の妻の遠縁に当たり、その縁で寄贈して頂いた。彼はまた私の大学の先輩に当たるが、私自身の面識はない。
 この本を頂いてからも先に読まなければならない本が沢山あって、気にしながら後回しになってしまった。私の場合寝転んで読める本はベッド・サイドに積んであり、この本もその中のひとつであった。つい先週のことである。そうした中から何気なくこの本を取り出してペラペラ捲り始めると、思わず引き込まれてしまい一気に読み上げることとなってしまった。私を引き込んだのは、未知の土地に対する郷愁への共感であった。訪れたことのない土地に、なぜか懐かしさを感じたのである。
 この本では横糸に、塚谷さんのリリシズムと正義感が、縦糸に、ポルトガルの風物と折節の出来事が巧妙に配置され、それぞれの紡ぎが絶妙なハーモニーを奏でる。そしてそこで綾なされた立体的な臨場感が読み手を包み込む。塚谷さんの心象風景が見たことない土地への郷愁を誘うのは、彼が根っからの詩人であるからだろう。またこの本からは、なぜか頑固な“正義漢”の雰囲気も漂う。
 この本をさらに重層にしているのは、ジェトロ所長の秋原浩哉さんとの交誼と、知人であるイザベラ・マリオ夫妻の離婚騒動という、横糸に加えられた二本の補助線である。この補助線がツィード地の風合いをさらにたおやかにし、小説的な興味を掻き立てる。
 塚谷さんと秋原さんは単身赴任の無聊を慰め合う仲で、週末はほとんど一緒。その関係は「ズッコケ」三人組ならぬ、二人組という感じがしてしまう。彼らの交わりは少年の無邪気さを彷彿とさせ、とても微笑ましい。イザベラとマリオの夫婦は、両者ともに塚谷さんの知り合いである。それぞれが塚谷さんに離婚話を相談する。そのエピソードが随所に織り込まれ、読み手の好奇心を誘う。結末が気になり、ついついページを捲る指も忙しくなる。これは塚谷さんの仕掛けた巧妙な企みである。
 こうした中で、特に印象に残ったエピソードは、女子大生の落書き事件と、運転手ジョアキンが彼の歴史観を披瀝する件である。女子大生落書き事件は、塚谷さんの元上司の娘さんとその友人をアテンドした時に起きた。壇一雄が一時期滞在したサンタクルスを訪れた帰途のこと。立ち寄ったオビドスの城で、女子大生二人はあろうことか文化財に落書きをしてしまい、職員に見つかってしまう。この時わがズッコケ二人組は、彼女たちが泣き出すのも構わず烈火のごとく怒る。そのあまりの剣幕に、初め怒り狂っていた現場の職員たちはあたかも自分たちが怒られているかのように、最後は、そこにいたたまれぬ風情となる。彼らの怒りの激しさと、その情景が手にとるように思い浮かぶではないか。まさにズッコケ”正義漢”の面目躍如である。
 ジョアキンは、塚谷さんの運転手さんである。二人で訪れたサン・ジョルジュ城で、ジョアキンが問わず語りに語ったのは、ポルトガルの来し方である。大航海時代を迎えた16世紀のポルトガルは世界に勇躍し、各地に植民地を設ける。彼らが遥々日本まで渡来し、種子島鉄砲を伝えたのは、1543年のことである。しかしその栄耀栄華は何世紀も続いたわけではない。高々半世紀のことでしかないわけだ。ジョアキンは、「ポルトガル人はそうした16世紀の経験から、富への飽くなき追求は、結局は徒労感だけを残すだけのものであることを悟った」と指摘する。一介の運転手さんがである。
 塚谷さんがポルトガルに勤務したのは1983〜86年のことであり、この時期日本は、世界経済において一人勝ちを続けていた。そうした時代背景の中で、今日の状況を想像だにしえない塚谷さんは、ぼんやりと日本の行く末に思いを馳せるものの、日本凋落のイメージはどうにも湧いて来なかったと言う。
 私も鮮明に覚えているが、1980年代は日本経済の最盛期で、“Japan as №1”と称えられ、パックス・アメリカーナの次はパックス・ジャポニカなどと、かなり気の早い議論が巻き起こってもいた。それが今この有様である。結局“世界に冠たる”日本経済は何年続いたのであろう。せいぜい20年もしかしたら10年程度でしかなかったのではないだろうか。”日本の時代”の瘡蓋は未だ傷口を覆い、引っかくとまた出血に見舞われる。結局80年代に、われわれが達した高みは何であったのだろうか。そんなことまでついつい考えさせられた。
 この本は、訪れたこともない異国への郷愁を誘い、そして、時空を超えて歴史の来し方などを考えさせたりもする。何だかとても不思議な本である。未だ面識のない塚谷さんであるが、何時の日かゆっくり酒でも酌み交わし、そのリリシズムと正義漢ぶりに直に触れたいものである。