国会議員の本音:ボーナス削減に「賛成の反対」

 29日の参議院本会議で、国会議員の夏のボーナスを20%削減することが全会一致で決定された。しかしながら三重県選出の高橋千秋参議のブログによれば、議員先生がたの本音は削減に反対の声が強いのだそうだ。同議員によれば、「賛成の反対」だとか。
 一般議員の月給は137.5万円で、この他にそれぞれ毎月文書交通費100万円、立法調査費65万円が支払われる。これらに公務出張の交通費実費、掲題のボーナス年718万円等を加算すると、ここまでで年間4400万円。さらに、三人の公設秘書の人件費として年合計2000万円を加えると、議員1人当たりに歳費として支払われる年間総額は6400万円になる。その他に、議員宿舎の恩典や政党助成金の分配もあるわけだ。
 この中で一般議員の夏のボーナスはカット前の302万円が、2割カットで241万円となる。因みに一般議員以外では、両院の議長が506万円から405万円へ、副議長が370万円から296万円に削減されるということだ。このカットが大きいか小さいかは、国会議員の1回のボーナス分が年収分という人が大勢いることを想起すれば充分であろう。にも拘らず、先生がたは高々60万円程度のカットに不平タラタラなのである。
 議員先生は仕事をしてもしなくてもバッジをつけるだけで、個人的年収は2300万円を超えるわけだ。かって当選直後に、小泉チルドレンの一員であった杉村太蔵さんが、年収の大きさと数々の“おいしい”特典に狂喜乱舞しすぎて、時の幹事長武部勤さんのお叱りを受けた。しかしながら考えて見れば、20歳代の普通の若者が2000万円を超える年収と数々の特典を手にすれば、はしゃいで当然であろう。庶民感覚としては杉村議員の反応は正しい。
 個人的経験から言って2000万円を超えるような年収を手にしても、それに麻痺してしまえば少しも多いとは感じない。否それよりも何よりも、自分がそれだけの年収を得ることの“不思議さ”を感じなかったことに、それを失ってしまった今となっては怖さを感じるのである。月々200万の月給を得れば実働20日で日給は10万円である。貧乏人の性であろうか。10万円円の日給など怖くて、今ではとても貰う気がしない。
 口を開けば、「国民のためとか、庶民の目線」を強調される議員先生がたは、本当にご自分がたの仕事ぶりが日給10万円の仕事に値するとお考えなのであろうか? 私などは、偶の国会中継やテレビの討論会でのご活躍ぶりしか存知上げないが、正直言ってとてもそんな高禄を食むような仕事ぶりではないと思う。そうした感覚だから、「賛成の反対」などと情けないことを宣うのであろう。
 税金を湯水のごとく使う点では、自民党民主党もない。兎に角先生がたの金銭感覚は麻痺している。企業献金で揉めるのも正常な金銭感覚を失っているからである。額に汗して必死にカネを稼がなければならない“切なさ”をご存知ないから、何億・何千万と巨額の資金を集めなければ政治活動が出来ないなどと仰るのであろう。
 議員先生が個人的収入を何にお使いになるのかは存知上げない。個人的費消のならず、政治活動にもお使いになるのかもしれない。それで高々60万円のボーナス・カットにも目くじらを立てるのかもしれない。しかし、リストラの意味するところをよく考えて欲しい。リストラの肝要は「現在の手許不如意を償うために、結果として、必要な支出を抑えざる得なくなること」である。政治にカネがかかりすぎることを放置するままに、収入減を嘆くのは正に噴飯物と言ってよい。
 いずれにしても、先生がたの歳費には思い切ったメスを入れるべきである。ちまちまとボーナス・カットなどでお茶を濁すのではなく、大胆に年収カットを実行すべきである。カット率は、個人的には半減であってもよいと思っている。それでも1000万円は維持されるであろう。そのことをマニフェストにしっかり書き込んで戦うことだ。その方が対立点の一向に明確にならない政策を問うより、国民にはるかに分かりやすい。そうしたマニフェストを掲げた政党は必ずや政権党となるであろう。そこに踏み込めないとすれば、そのことこそが問題である。
 然るにカットされた収入を前にしてはじめて、民の痛みが分かるというものだ。カネがなければ料亭や高級レストランなどに行かずに、議論は国会内あるいは党内の会議室で行い、終わればさっさと家に帰って家族で食事を取ればよい。庶民感覚から敢えて遊離し、普通の家族の温もりも知らない政治家に、どうして政治を司ることが出来るであろう。絵空事でない家族の絆を感じれば、英気も養われるであろうし、また別な視点も芽生えるはずである。民の竈は我が家からということだ。
 私は本欄で何度も書いているように、今回の経済危機は小手先の策は通用しないと考えている。下手に動けばまたぞろ借金の山である。後ろめたさを禁じえない孫・子の代に、さらに膨大な負債を残すだけである。こうした時代は“乏しき”を分かち合うより仕方がないのだ。そうした中で、未来を見据えた真の改革が蠢動する。政治も経済も企業も個人も何もかも皆そうである。その第一歩としては、たかが2割のボーナス・カットに不平を募らせる選良が本当に選良かどうか、次の選挙を睨んでよく見定めることだ。