経団連は何を守ろうとしているのか?:温室効果ガス問題への対応から考えたこと

 ポスト京都議定書を検討する政府の「中期目標検討委員会」から、2020年における温室ガス排出量目標に関して6つの選択肢が示された。この6つの案は、第一が「既存技術の延長線上で効率改善を図ることとする場合」+4%(1990年比:以下同じ)、第二が「先進国全体で−25%とする中で、各国の限界費用を均等にすることとする場合」+1〜−5%、第三が「最高効率の機器を現実的な範囲で最大限導入することを目的として、さらに政策の最大限の強化を図ることとする場合」−7%、第四が「先進国全体で−25%とする中で、各国のGDP当たり対策費用を均等にするように図ることとする場合」−8〜−17%、第五が「新規導入機器は全て最高効率の機器とし、更新期前の機器も一定割合を買い替え・改修することとする場合」−15%、第六が「新規・既存機器のほぼ全てについて、最高効率の機器にすることを義務づけることとする場合」−25%というものである。
 そしてこうした案に対して、政府は財界等から意見を求めたわけだが、面白いことに、財界の意見はまったく分かれてしまった。財界の本丸である経団連は第一案(+4%)、主体が中小企業である日商(商工会議所)は第二案(+1〜−5%)、理論派経営者が集う同友会は第三案(−7%)と、見られるようにみごとにバラバラである。
 それにしても不思議なのは経団連の対応である。経団連は、その会長が財界総理の異名を欲しいままにするわが産業界のパンテノンである。同友会はともかくとして、私には、その経団連の選択した目標値が、中小企業者の代表である日商よりも甘いことにまず驚きを覚える。
 経団連は、「全ての主要排出国が参加する公平で実効ある国際枠組が不可欠」としたうえで、第一に国際的公平性の観点から、「欧米に比べ過大な削減費用は、雇用や地域経済、国際競争力に悪影響」が及ぶこと、第二に国民負担の妥当性の観点から、「社会保障の充実、雇用の確保、地域経済の振興など、多くの重要課題がある中、温暖化対策にどの程度の配分を行うか、国民的合意の下で決定する必要」があること、第三に実現可能性の観点から、「民生部門の目標の達成は、国民の購買行動次第。初期費用負担の大きさや電気料金の負担増などを考えれば、低炭素型の製品・サービスの普及率は、慎重に設定する必要」があることを挙げる。こうした理由をもって、グローバルな競争にさらされる産業界にとって、国際的公平性がとりわけ重要であるため、第一案を支持するというのである。
 私自身京都議定書の合意は拙速であったと思うし、各国間の目標設定も必ずしも公平でないことは認める。だがそれよりも何よりも、経団連以外の二団体は、もっと厳しい目標を受け入れるとしているのである。経団連が指摘する事情は、他の二団体にとっても同じことである。否、むしろ中小企業が大半である日商の方が状況はより厳しいはずである。一見正論を吐いているようであるが、経団連はやはりおかしい。産業界の指導勢力としての矜持と責任が少しも感じられないのである。
 昔から経団連保守本流を自認するのに対して、同友会は理想論に走りやや頭でっかちであることは否めなかった。だがこうした時代だからこそ、“地に足を着けた”理想論を敢えて議論することこそが必要ではないのだろうか? 経団連は如何にももっともらしい言を吐くが、詰まるところ「こんなに景気が大変な時に、環境なんかに構っていられない」ということであろう。これは現行政府の究極のバラマキ政策と軌を一にする考えである。両者ともにその場凌ぎに終始するばかりで、その行動からは、少しも将来への骨太の指針が見えて来ないのである。
 以下は穿った見方である。現経団連会長の御手洗冨士夫さんは言わずと知れたキャノンの会長である。一方、同友会代表幹事の桜井正光さんはこれも言うまでもなくリコーの会長である。これは奇妙な偶然であるが、キャノン、リコーともに光学機器・事務機器を中心とする機械メーカーである。経団連会長と同友会代表幹事が期せずして、ご同業出身ということである。
 両社は同じ業界にあるわけであるが、両社の経営は根本的に異なる。御手洗さんはアメリカ勤務が長く、利益至上主義の効率追求型の経営者である。一方の桜井さんはヨーロッパ勤務が長く、本気で環境経営に取り組む理想追求型の経営者である。トップ一人だけで全ての方針が決まるとは思わないが、それでもそうしたトップの基本スタンスの影響するところは大きいであろう。そう言えば、キャノンがいち早く派遣切りに乗り出した際も、リコーは少なくともドラスティックな行動には走らなかった。
 個人的な経験からも、キャノンという会社は効率経営が徹底し、新しく口座を開くこと(新規開拓)は大変難しいとの印象を持っている。もっとも御手洗会長ご自身は、地元の大分県で同窓生に取引上多くの便宜を図っていたとの報道もあり、効率経営がどこまで徹底しているのかは外野席からは知るよしもない。一方のリコーは本気の環境経営に加えて、ワーク・ライフ・バランスを追求していることでも有名である。
 こうした単純な話ではないかもしれない。しかしながら、経団連と同友会。キャノンとリコー。同じ企業社会に属しながら行き方はそうと異なっているようである。堂目卓生アダム・スミス』では、「経済は自然体で形成されるものではなく、その形成にはそれを構成する個人の規範原理が強く働く」ことが指摘される。すなわち、ひとつの経済の形成には、その社会に集う個々人の主義・主張が反映されるということである。もっと言えば、経済のスタイルはイデオロギーの産物であるということでもある。
 温室効果ガス問題を巡って財界の見解が三つに分かれたのは、その拠って立つイデオロギーが期せずして露呈したということであろう。経団連のご神託は未だ大きな権威を持つ。その経団連がどこを向いて企業社会を引っ張ろうとしているのかは、われわれにとって大きな関心事である。会社、経営者、従業員、国家。経団連がどちらを向いているかによって、この国の存亡が決する。彼らは何を守ろうとしているのであろうか?