今回の選挙は新しい時代の始まり

 今朝、朝一番で選挙に行って来た。折悪しく雨模様であったにも拘わらず、半端でない熱気を感じた。事前の大手マスコミの世論調査では、自公の大勝が予想されている。しかし投票場へ足を運ぶ有権者を見ていて、本当にそうであろうかという強い疑念を感じた。それはなぜか? ここで一例として、私の前にいた一組の老夫婦について挙げたい。ご主人は杖、奥さんは手押し車。こんな状態で強い雨の下、わざわざ投票に臨むのは現状に強い不安を感じているからではないのか? 自公を支持するのであれば大勝が予想されている状況で、敢えて不自由を押してまで投票場に出向くと考えるのは合理的ではないであろう。
 一方、期日前投票もこれまでの最多を上回る見込みということだ。この数が2,000万人を超えてくれば、有権者に対する比率はほぼ20%に達する。このように期日前投票が増えているのは、超大型台風来襲への警戒からということである。しかしそれだけではないであろう。勿論投票者の大多数が野党支持ということはないと思うが、わざわざ頑張って長蛇の列に並ぶのは、現状の政治情勢に不安を感じているからではないのか?
 世論調査は大抵の場合よく当たるのであろうが、今回の異常な状況での解散・選挙はこれまでと違っているのではないのだろうか? これは単なる希望的観測ではないような気がしてならない。
 今日の東京新聞では、女優の中江有里さんは、選ぶに値する政党・政治家がなくてもいいので、「消極的な選択でもいい」から投票権を行使することを促している。また、法政大学の山口二郎さんも、「冷笑とあきらめは民主主義を掘り崩す病原菌」と指摘し、ばかばかしい選挙と棄権してしまうことの軽率を戒めている。
 今回の選挙後、自公は相変わらず政権を持続させることになるのかもしれない。しかしひとつの”希望”は立憲民主党である。瓢箪から駒でこの政党が誕生して、訳の分からない民進党が分裂することによってリベラル勢力が純化し、有権者に明確な選択肢を提供することとなった。これも今朝の東京新聞であるが、同志社大学の浜矩子さんは、今回の選挙が如何にご都合主義の選挙であったとしても、これまでと異なり、「少なくとも対峙の構図が明らかになったことが好材料」と喝破されている。同感である。
 政権交代まで行かなくても、暴走する政権をチェックするためには、国民目線のリベラル勢力の存在は絶対に必要である。選挙後の立憲民主党の瓦解も囁かれているが、雲散霧消するのは希望の党であって、決して立民ではないであろう。今回の選挙は、立民のプレゼンスを確固とし、新しい日本の将来を切り開くものと言っても過言ではない。