安倍さんというリーダーを戴いて

 安倍さんという人はどういう人なのであろうか。彼の人格探訪には、野上忠興安倍晋三 沈黙の仮面−その血脈と生い立ちの秘密−』が参考になる。野上忠興さんは元共同通信の記者で、安倍さんの父君である晋太郎氏の番記者でもあったということだ。同書から以下の三点を引用してみたい。
 第一、「大学時代の安倍兄弟を教えた教授が10年ほど前、筆者の取材に手厳しく語ったことがある。<安倍君は保守主義を主張している。それはそれでいい。ただ、思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった。卒業論文も枚数が極端に少なかったと記憶している>」(P60)
 第二、「その頃、晋太郎は筆者(野上)に<晋三は政治家に必要な”情”というものがない。あれでは、まだまだ駄目だなあ>と漏らしたことがあった。今になり、その言葉がよく思い出される」(P116)
 第三、「安倍は、自分が正しいと信じる考えと違う意見を言われると、反射的にキレて黙っていられなくなり、猛然と反発するシーンが目立つ」(P55)
 以上を整理すると、第一からは、安倍さんの決して”学ばない”ことの姿勢、第二からは、元来”情がない”ことの気質、第三からは、明らかに”器量がない”ことの証左が窺われると言っていいであろう。こうした三つの特質は、今回の森友問題を巡る国会答弁で改めて国民の前に曝け出された。
 第一については、安倍さんは、本当に言葉の意味を熟知してお使いになっているかどうか定かではないことが多い。しっかり深いところで学ぶ習慣がついていればそんなことはないはずなのだが、例えば、”私人””忖度””悪魔の証明”などの言葉を不用意にお使いになるから、あっさり墓穴を掘る結果になってしまう。”悪魔の証明”を引用して、「なかったことを証明するのは困難」などとぽんと仰られると、「冤罪はどうなのか?」と突っ込みたくもなる。
 第二については、菅官房長官と同期をとった、総理夫人付・谷査恵子さんの非情な切り捨て。報道によると、今のところ谷さんの処分まで考えていないということのようであるが、これはそもそもおかしい。任務の中で独断でこうした対応をしたのだとすれば、まずその権限が確認されなければならない。権限違反が確認されれば、論理的な帰結として厳正な処分が図られて当然である。「指示がないのに勝手にやった」という言い方は、それだけ非情であり危険なのである。
 第三については、安倍さんの場合、これは本当によく目につく。すぐにキレて質問者を恫喝するシーンをわれわれは何度も何度も目撃している。こうしたリーダーを仰がなければならないことの羞恥は、アメリカのトランプさん、韓国の朴槿恵さんを笑っていられないであろう。笑う笑わないはともかくとして、要は、安倍さんには知と徳の感じられないことが問題なのだ。
 森友問題を巡る国会中継、報道において安倍さんの対応ぶりを毎日毎日嫌というほど見せつけられるにつけ、つくづく意気消沈してしまうのである。