シャッポは軽くてパーがいい

 森友学園をめぐる不毛な議論が続いている。混迷の主因は、安倍さんが一貫して「私も妻も悪くない」を強弁しているため。多くの国民は、ジバン・カンバン・カバンに恵まれすぎた時の総理が、このようなちまちました利権漁りをしているなどとはよもや考えてもいない。安倍さんに対する野党議員の追求は意訳すれば、為政者およびその伴侶がなぜ「李下に冠を正さず」「君子危うきに近寄らず」の大原則を守れなかったのかという一点に尽きる。そうした意味では私は、安倍ご夫妻と、同学園の払い下げ価格、超右翼的教育の問題は切り離してもいいのではと考えている。
 ところで昭恵夫人は昨日イベントに登場し、第二次安倍政権になってから、夫人自身「なぜか忙しくなった」と仰ったようである。安倍政権が長期政権化する見通しのなか、これを利用しようとする輩が夫人にもすり寄って来るのは、浮世の義理として当然のありようだ。いくらお嬢様育ちであっても、少し想像力を働かせればそんな単純なことが分からないはずがない。分からないのだとすれば、言語道断であろう。
 森友問題の追求が国会でもマスコミでも風雲急を告げているさなか、彼女は、なぜこうしたイベントに登場しなければならなかったのであろうか。とても不思議である。自らの軽率な行動・言動が安倍政権を揺るがす事態になるかもしれないこの時期、普通に考えれば、主宰者とどんなしがらみがあったとしても、イベントへの登場など当然のこと自粛して然るべきであった。これは庶民の常識である。
 一方安倍さんは自らが矢面に立って批判に晒されると、異常に興奮して俄かに強圧的になる。これは今国会で何度も目にするところである。私はもともと安倍総理にその資質そのものに疑義を抱いて来たが、森友問題が顕在化して以降、その感をますます強くしている。安倍さんは、祖父も大叔父も総理経験者、父親も有力な政治家、加えて夫人は森永の創業者一族ということで、第一級のプリンスである。しかし安倍さんがおやりになって来たことは、ここではこれ以上指摘しないがクエスチョンマークだらけである。
 そうした安倍さんが再び総理・総裁の座に返り咲いたのは、基本的に人材不足ということもあろうが、小沢一郎さんがかって仰ったように「シャッポは軽くてパーがいい」という力学が働いたからではないのかと勘繰りたくもなる。支持率の高さから安倍さんは、盤石の基盤に立っているとお考えかもしれない。しかし政界は一寸先は闇。今日の友は明日の敵。オセロゲームでもある。上手の手から水が漏れると、盤面が一挙に変化してしまうことは十分にありえる。世界中の顰蹙を買いながらもトランプさんとの会談を強行し、得意満面のニコニコ顔でいても先は分からない。数に奢ってわが世の春を謳歌していても、たちまち冬将軍に襲われる展開だってありえるわけだ。最近の安倍さんの行動を見ていると、つくづくそう思わざるをえない。杞憂に過ぎればご同慶の至りである。