恥知らずの国の恥知らずな国民

 昨日TPP法案が衆院本会議で可決し、今国会中に参議院でも成立させる方針ということだ。その一方で、パリ協約の批准が遅れたためにCOPマラケシュにはオブザーバー参加を余儀なくされている。これでいいのかと言えば、いいはずがない。TPPはトランプさんが公約通りに行動すれば、米国は離脱。日本が法案を通してもこれは独り相撲。また伊勢志摩サミットでは、日本はパリ協定の早期締結を提案した張本人である。米中両国とも批准を済ましたなかで、その張本人が批准を遅らせてしまった。このチグハグ感に、安倍さんは少しも恥ずかしくないのであろうか。
 恥ずかしくないと言えば、文芸春秋9月号のなかで、先般亡くなった永六輔さんが安倍さんに関して面白い見方を披露している。これを引用してみる。「きわめつけは”美しい国、日本”。すごく上滑りな感じして恥ずかしい。でも、あれが恥ずかしくない人も沢山いるらしいんです。実際、これをスローガンにしている総理大臣自身は、何度も引用しているのに、ちっともはずかしそうじゃありません。少し照れてくれるとホッとするのに」。そう私は永さんのこの発言で、安倍さんに対する永年のモヤモヤ感が一挙に腑に落ちた。安倍さんは恥ずかしいということを知らないのだ。
 再リーマンショックの懸念表明における粗雑な図表提示。国会での貧困化議論における”相対的”貧困発言。賛否両論はあるだろうが、リオ五輪閉幕式でのマリオの扮装。いちいち挙げれば切りがない。恥を知らないから、消費税の引上げ延期など平気で公約破りもやってしまう。もっともこれは安倍さんが悪いのではなく、こうしたリーダーを不用意に支持してしまう国民が恥知らずであるからであるからかもしれない。このことはトランプさんを選んだ米国民、ドゥテルテさんを選んだフイリピン国民、EU離脱を決意した英国民なども同じことであろう。「武士は食わねど」と嘯く覚悟のないままに、ポピュリズムにいとも簡単に流されてしまう。少なくとも、少し前までの日本国民にはその覚悟があった。恥を知り、やせ我慢の思想があった。現状の政治をいくら嘆いてみても、その国民の水準以上のリーダーなど期待するのが無理ということだとすれば、恥ずべきはまずはわが身ということか。納得。