美姫ちゃん vs. 真央ちゃん

 昨日(29日)久しぶりの本欄で、フィギュアの日本選手権を取り上げたら早速トラックバックがあった。そこでそのトラックバックを辿ってみると、驚くなかれ、美姫ちゃんファンと真央ちゃんファンとが真っ二つに分かれて、熾烈なバトルを戦わせているのである。このこと自体は瑣末な話であるが、少々思うところがあってこの話題をもう少し掘り下げることとしたい。
 私もよく知らなかったのだが、詰めて言うと、真央ちゃんファンは彼女の無垢さ・清潔さに魅かれる一方で、美姫ちゃんの蓮っ葉さ・どこか崩れたさまを嫌うようである。いずれにしてもこのことは、彼女たちのアスリートとしての実力とはまったく無関係であるし、単なる印象論でしかない。
 印象論ということをもう少し考えてみる。言うまでもなく、飽くまでも印象は印象にすぎず、その実像を正確に理解することとほど遠い場合が多い。私自身、彼女たちを直には知らないので曰く言いがたい部分はある。しかし中京大関係者で常識とされている事実を世間に伝えるとするならば、恐らく、彼女たちの世評は一変することになるかもしれない。真央ちゃんは真央ちゃんで一生懸命やっている。だがここでのもっぱらの関心は美姫ちゃんである。
 美姫ちゃんは世間でみるよりはるかに努力家であり、基本的に頭のいい子ということで学内の評価は高いということである。中京大室伏広治選手をはじめとして、世界ナンバーワン級のアスリートを輩出していることでつとに有名である。これに関して私も誤解していたのであるが、中京大では学生アスリートに対して一切特別扱いはしないということである。彼ら彼女たちの長い人生において、華々しい競技人生は一瞬のまたたきのなかの出来事にすぎない。したがってその一瞬の出来事を特別視して、彼ら彼女たちの人生を狂わせてはならないというのが、大学当局の親心ということなのである。
 美姫ちゃんは大学の決して特別扱いしないという対応のなかで、卒業が半年遅れた。しかしながらこの9月には無事卒業に漕ぎ着けたはずである。大学は違うが、卓球の福原愛選手も学業との両立困難を理由に、早稲田を中退したことが伝えられる(未確認)。昔、大学に在籍して活躍するアスリートが特待生扱いされることは周知の事実であった。そうしたなかで、少なくとも、現状において中京大ではアスリートの特待生扱いはしていないということなのである。
 世界中を飛び回る学生アスリートたちが卒業まで漕ぎ着けるまでの奮励努力のさまは、私自身学生を教える立場にあって想像に難くない。美姫ちゃんは少なくとも一般学生以上と比べてはるかに過酷な環境のなかで、卒業を果たしたのである。そのことは素直に評価してあげていい。一方、真央ちゃんは未だ学業半ばである。彼女についても今後一社会人として生きる術を、折角入った大学で身につけることが出来るよう見守ってあげるのが、本当のファンであるといえるであろう。
 印象論ということに戻る。これだけは正しておきたいのであるが、美姫ちゃん〜蓮っ葉な尻軽女、真央ちゃん〜いいとこのお嬢様という単純な印象による足の引っ張り合いだけは止めて欲しい。そうした心無い応援は、彼女たちのどちらにとっても益はないし、何より彼女たちの望むところではない。
 今日はアスリートの話に集中するつもりであったが、やはり政治ネタが頭を掠める。よく知りもしなのに民主党〜純真無垢を信じて、われわれが自ら墓穴を掘ったのはつい1年前のことである。海千山千の政治家先生たちは、票を獲得するためならなりふり構わない。身中に刃を潜ませながらも、外見を羊のごとく振る舞う手練手管は見事とさえいえる。単純書生っぽい言い方で恥ずかしいのだが、われわれは外見に惑わされることなく本質を見抜く能力を磨かなければならない。不幸のはじまりすべてそこにある。自戒を込めて…。