民主主義は不法国家に勝てないのか

 また北朝鮮の暴挙である。この暴挙は、米韓共同大演習の圧力に抗しきれなくなった北朝鮮が放った「鼬の最後っ屁」という要素が大きいということのようだ。米韓が北朝鮮の鼻っ面で演習をみせつけると、北朝鮮は対抗上同規模の演習をやってみせるのが恒例であるという。そうした大規模演習には当然大量の燃料が必要になる。
 したがって米韓の演習に対抗して北朝鮮が同様の演習を行うと、ただでさえ乏しい燃料がいっそう底をついてしまうこととなる。今回の民間施設を含む韓国領土への砲撃は、そうした北朝鮮の台所事情から、米韓両国に向けた「演習をやめてくれ」とのサインという見方もされるとのことだ。しかしもしそうであるとするならば、これは猿智恵以上の何ものでもないであろう。
 また今回の砲撃事件は金親子も十分承知していたということのようであり、事前に当該軍事施設を視察していたと伝えられている。言語道断である。いずれにしても、こういう国家を相手にするのは綺麗ごとでは済まない。友愛などと悠長なことは決していっておられないのだ。北方領土尖閣諸島も少し気を抜けば嵩にかかって圧力をかけてくる。
 ロシアも中国も北朝鮮ほどのことはないかもしれないが、所詮同じ穴の狢であろう。メドヴェージェフの北方領土視察、中国の漁船追突事件は明らかに不法行為である。それにしても一般大衆の福音を目指した社会主義国家はどうしてこうも素性が悪いのであろうか。スターリンの血の粛清、毛沢東の狂気、金日成・正日の暴政などはどうして起こりえたのであろうか。
 今世界中に混乱が巻き起こっているのは、私は不用意な冷戦の終結に大きな原因があると考えている。いい悪いは別にして、ベルリンの壁の崩壊以降、十分な社会主義国の本質研究がされないままに、なし崩し的に西側経済に巻き込んでしまった。つまりは自由主義経済下のプレーヤーとしての資格を問うことなく、プレーヤーとしてのプレーを容認してしまったということだ。
 欲得にかられた西側諸国の金の亡者たちが中国の解放を迫り、世界の工場としての地位を与えてしまった。そして自分で自分の首を絞めるようになってしまった。経済には倫理と秩序が絶対に必要である。それらを端から無視して金儲けにばかり励ことができれば、そんな簡単なことはない。一方は何でもありのフリーハンドである一方、他方が両手両足を縛られたままでは勝負にならない。それと中国のタフ・ネゴシエーターとしての素質を見逃していたことも大きな要因のひとつである。
 言いたいのは、国家戦略の展望がないままに、バスに乗り遅れることばかりを気にしつつ次から次に挙って中国進出を果たした。そのことの「罪」である。ロシアもそうであろうが、中国の門戸解放はパンドラの箱を開けてしまったということだ。今のままの状態で中国が世界一のGDP大国になろうがなるまいが、そんなことはどうでもいい。彼らが正当に評価されるようになるためには、まずフェアであることだ。
 中国がどのように抗弁しようと、彼らの志向が覇権主義であることは間違いない。西洋対東洋という対立構造の中で、中国は東洋の代表を気取るつもりかもしれないが、もし本当にそう思うのなら最低限の国際ルールは守らなければならない。
 北朝鮮のような明らかな不法国家を外交カードに使うことは、自らが不法国家であることを認めたということだ。他にも、チベットをはじめとする少数民族に対する人権侵害、日本・ヴェトナム等との領土問題に関する国際法の無視、等々。あげればきりがない。中国が今後とも世界の政治経済においてリーダーを欲するのであれば、まず正すべきことを正さなければならない。
 尊敬されないリーダーはどう弁を弄しても、所詮ただのゴロツキである。途中悲惨な戦争を挟んだものの、日本が曲がりなりにも国際社会で受け入られるようになったのは、明治維新以降、涙ぐましい努力の下に西洋社会のルールを学び身につけたからである。中国がわれわれと根本的に異なるのは、そうしたルールを受け入れることを拒否し、自らのローカル・ルールを押し付けようとしていることだ。
 民主主義には多々欠陥がある。それは間違いない。だがそれが不十分であろうとなかろうと、明確にそれに取って代わる制度を見出しがたい以上、それに従わなければならない。北朝鮮の暴挙にばかりが目立つが、彼らの跳ね上がりが中国の暗黙の支持にあるのだとすれば、これは今日世界で起きている様々な問題と重ね合わせて、彼らを一まとめにして論じなければならない。要は、不法国家の恫喝に民主主義国家がどう立ち向かうのかということだ。