中国漁船衝突事件:船長釈放は政権最大の不祥事

 私は外交の素人である。だが今回の尖閣諸島における中国漁船衝突事件の処理には大いに疑問を抱かざるをえない。尖閣諸島の帰属については数々の歴史資料において、歴代の中国政府がわが国の領有権を認めてきたことは明らかである。ただ百歩譲ってもしかしたら、現行共産政権では認めていないということであるのかもしれない。しかし、外交の継続性においてそんな身勝手な解釈が世界に通用するものではない。
 わが国の外交は幕末の開港以来、弱腰に終始してきたと言ってよい。勿論日清・日露の戦争や太平洋戦争のように、時折強腰に転じ戦争にまで立ち至ったことはある。しかしこのことは、それまで一貫して採用されてきたとりわけ欧米諸国を刺激しないようにという「平和」外交と矛盾するものではない。経済力を中心に彼我の国力の差を見れば、抗うことの無意味さ・無力さは一目瞭然であった。
 しかし戦後世界第2位の経済大国の地位を獲得してからも、今度は軍事力の弱体さが意図的に喧伝されて外交的には依然「弱腰」であり続けている。もっとも軍事費だけで見れば、わが国は世界第4位の位置にあるわけだ。しかも圧倒的に巨額の予算を組む米国を除けば、第2位の中国、第3位のロシアとの差は僅差であり、団栗の背比べである。わが国は、周辺諸国への配慮から軍事的プレゼンスをことさら前面に打ち出すことが出来ない立場にあるわけだが、軍事力は外交上の大きな要石である。決して少なくない予算を血税から搾り出していながらも、それを有効活用出来ないのはまさしく政治の怠慢である。
 領土問題で言えば更にシリアスなのは北方領土である。終戦時のドサクサに乗じた旧ソ連邦の不法占拠が明らかでありながら、60年有余の時間を経ながらも一向に解決の方途を見出すことが出来ない。見出すことが出来ないのみならず、不当な拿捕の繰り返しで死者まで出ている。にも拘らず、わが国政府は手も足も出さない。国際正義の大義名分が明らかであれば、平和主義と軍事行動は一向に矛盾するものではない。ロシアや中国の国際的不法行為にじっと我慢を繰り返すのは、平和主義でもなんでもない。ただの臆病者である。
 尖閣問題における船長の釈放は、折角手に入れた切り札のジョーカーを無条件でくれてやったに等しい。マージャンなどでよくありがちであるが、初心者は得てして強い牌を持て余してしまう。今回の政府の不祥事もそういうことではないのか。切り札として向こうから飛び込んできた折角の外交カードを持て余し、相手のブラフに負けて意図も簡単に放出してしまう。これは不祥事以外の何ものでもない。
 外交には本質的に「友愛」はない。顔色は別にして、それは国益国益のがちんこ勝負である。妥協点を探りながら一枚一枚カードを切り、局面を少しでも有利にするようにゲームを進める。場合によっては軍事行動も辞さない。それが外交である。基本的に外交に完全勝利はありえない。結果はお互いの妥協の産物である。だが北方領土問題でも、尖閣諸島問題でも、わが国は相手に完全勝利を許してしまっている。これでは本当に世界の笑い者、ピエロもいいところである。口を開けば民主党の先生がたは馬鹿の一つ覚え。政治主導、政治主導と仰るが、こんな有様で本当に政治主導などお出来になるとお考えなのであろうか。
 今回、罪が大きいのは菅総理、仙谷官房長官、前原外相の3人である。事態の解決を焦る菅さんは「超法規的措置」に思いを馳せ、仙谷さんは責任を検察に押し付け、前原さんは外交カードを適切に切ることを怠った。彼らは国益ということをどうお考えなのであろうか。それが一向に見えてこない。私には彼らはただのチキンにしか見えないのである。
毀誉褒貶は色々あるが、北方領土の返還運動に力を尽くした鈴木宗男さんにはそれが見えていた。しっかりと複数の外交カードを用意し、それをチラつかせながら妥協点を模索する。佐藤優さんとの二人三脚はその実現に向けた強力なタッグマッチであった。いずれにしてもこれは、素人の私にも分かる外交のいろはである。鈴木さんは収監によって活動の勢いを殺がれ、北方領土問題の解決は多分永遠に遠のくこととなるであろう。鈴木さんの方法論に問題があったとしても、国益の観点から見て、彼の活動こそ政治主導ということである。
 菅総理以下と鈴木さんの違いは、政治に本当に生命を賭けているか否かに尽きると言っていい。菅さんは市民運動家、仙谷さんは全共闘崩れの弁護士、そして前原さんは松下政経塾と、出身はそれぞれ異なるが、大学は東工大、東大、京大といずれも学歴エリートである。対する鈴木さんは、議員秘書からの叩き上げで、学歴は拓大出身。前3人に比べれば、見劣りすることこの上ない。エリート対非エリートの構図である。
 私はエリートを否定する者ではない。だがこの国の政治的エリートは一様にひ弱である。これは民主党政権に限らず、歴代総理経験者の二世・三世が次から次に政権の座についた末期自民党政権においても同じことである。自民党が倦み忌避されたのも、国民がどこかでそのひ弱さに気がついたからであろう。しかし期待した民主党も結局は同じ穴の狢であった。加えて民主党の場合、経験不足であることがなお問題を大きくしている。
 エリートは世の中を動かす上で必要な存在である。だがエリートは人と違う立場・処遇を受けるだけではそれを自家薬籠中には出来ない。エリートの条件としては何よりもノーブレスオブリージュということが大事である。政界のサラブレッドや学歴エリートがリーダーシップを握っても、この国が一向によい方向に向かわないのは、ことごとくノーブレスオブリージュの義務を負わないことに原因があるように思えてならない。
 ノーブレスオブリージュの気概を政治家先生お持ちになっていれば、少なくとも国益から目を離すことはない。国益を明らかとすれば、後は方法論である。自らの身を捨ててかかれば、国民は自ずから従う。昨今の情勢に思いを馳せるにつき、ことごとくその気概が見当たらないから悪循環が続くのだという感を強くする。いずれにしても今回の船長釈放は政治と金どころではない。民主党政権最大の不祥事である。そのことだけは間違いない。歴史が裁く。