ハワイの日本語とこれからの中国

 先週ハワイに行ってきた。これまで機会がなくて初めてのハワイ行であった。と言うよりあまりにもポピュラーすぎるところから、偏見が邪魔して足が向かなかったという方が真実かもしれない。
 ハワイ・リピーターの妻からは何度もハワイの心地よさを聞いてはいた。しかしなかなか重い腰が上がらなかった。今回その重い腰を上げてみようと思ったのは、ある旅行社の企画になる「格安ファーストクラスで行くハワイの旅」を目にしたからだ。ハワイはともかくファーストは一生に一度のことかもしれない。要はハワイではなく、ファーストクラスに魅かれたからである。
 まあ理屈はどうでもいいのだが、実際にハワイに来てみてこれまでの偏見がいっぺんに吹き飛んだ。妻は初めてのハワイの時に、われわれ夫婦の共通の故郷である「北海道に空気感が似ている」とのたもうて、同行の友人に笑われたことを盛んに悔しがっていた。確かに空気感は大いに夏の北海道と似ている。
 北国と南国。一見して共通点はない。だが北海道の夏は空がきれいなために紫外線が強く、日中は結構気温が上がる。その一方で朝晩は涼しい。要は空気が軽いのである。その空気感が妙にハワイと北海道は似ているということだ。またハワイと言えどもアメリカである。北海道も維新以来アメリカの影響が強い。そうしたところも大いに親近感を抱かせるのであろう。妻に啓発された新たな発見である。
 ハワイには年間200万人の日本人観光客が押し寄せるとか。あちらもこちらも日本人だらけ。そして日本語の洪水である。ショッピングやレストランも日本語で大抵は間に合う。海外で日本語の通じるのは実に安心だ。
 海外で日本語が通じるのは日本の経済力の賜物である。如何に日系人が多くても経済力を失えば日本語を学ぶ人は急激に少なくなる。ささやかな経験であるが、80年代に単身でアメリカの金融事情を取材して回ったことがある。当時は日本経済の絶頂期であり、世界の大銀行ベスト50に邦銀20行がランクインする。そんな時代であった。
 そうした経済力を誇るとどういうことが起きるか? ビジネスチャンスを求めてまず日本語熱が高まる。拙い英語でも何とか仕事に格好がつけられたのは、訪問先のジャパンデスクには必ずと言っていいくらい青い目の日本語の達人がいたからである。それが今は猫も杓子も中国、中国。冷戦時代に中国語を学ぶのは一種の変人であった。経済力が高まれば自国語を外国人が自然と学んでくれる。これは一種の経済の摂理であろう。
 考えて見れば、英語が世界語となったのは日の沈まぬ領土を誇った大英帝国の影響が大きい。次いでそのあとをアメリカが襲う。パックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナへの変移ということだ。加えて、古英語はゲルマン語とフランス語の合体したものである。こうしたところから、とりわけヨーロッパにおいて、英語は受け入れられやすい出自を持っていたことであるのかもしれない。
 今では夢のまた夢となってしまったが、80年代の日本経済の最盛期。次代はパックス・ジャポニカなどという空想がまことしやかに囁かれた。日本が世界の覇権を握るという趣旨である。しかし「パックス○○」は経済力のみをもってなるものではない。その背景には世界をリードする政治力・文化力、そしてなによりも圧倒的な軍事力が存在しなければならない。こうしたコンテクストではパックス・ジャポニカなどは、一部閑人の戯言ということであったろう。
 ハワイに見られるように、外国において自国語が通じるのは大変気持ちがいい。そうした気分はイギリス人やアメリカ人が存分に味わってきた。英語圏の人々とりわけアメリカ人はどこへ行っても英語は通じるものと思い込んでいる節がある。
 ただ世界で英語を母国語とする人口はたかだか5%弱である。一方中国語を母国語とする人口は13%強ということである。数が力であるとすれば、封じ込め策が一転したことを契機に、世界の檜舞台に躍り出た中国が覇権を握ることは少しもおかしなことではないのかもしれない。
 ホノルルには立派なチャイナタウンがあるが、その割に中国のプレゼンスは未だ小さい。これはこれまでビザの発給が中国人に対して厳しかったということが影響しているようである。しかしその制限も緩和されたと聞く。ハワイにおいても中国語が席捲する日がそう遠くないのかもしれない。
 翻って経済力は決して世界の覇権を競うための具ではない。飽くまでも経済力の向上は、国民1人1人の生活水準の向上に資するものでなければならない。それが大原則である。覇権を握るために経済力を高めることは本末転倒である。中国が覇権を獲得するために経済力の向上に邁進しているのかどうかは知らない。だが自国語が世界語となって海外で大きな顔が出来るようになっても、国内に多くの課題を抱えるようでは何をか況やである。
 イギリスもアメリカもそうした道を辿ったし、日本もその轍を踏んだ。世界に中国語が溢れ、GDPが世界一になったとしても、国民1人1人の生活の向上が図られなければそんなものはまったく意味のないことである。マスコミは日本のGDPが中国に追い抜かれることをことさら喧伝する。しかし最低の生活水準を比べれば日本の水準は圧倒的に高い。それが本質である。そんなことをあれこれ短いハワイ行で考えた。