母と母:多喜二と鳩山さんの親孝行

 先般の『北の人名録』もそうであるが、このところ齢のせいか故郷の空気感に触れたくて、しきりに北海道を舞台にした小説・エッセイを読み漁っている。ここでの空気感というのは、硬く言えば、舞台としての気候・風土とそこに住む人々が織り成す曼荼羅模様というほどの意味合いを想定している。しかし確たる定義はない。要は雰囲気である。
 私の心象風景は欲張りである。雪解け時期のまったり感、一斉に咲き誇る百花繚乱(?)の花々、森の奥の郭公の声、豊かな作物を結ぶ緑の絨毯、鮮やかなキャンバスと化す秋の野山、それと何と言っても、夕映えに染まる薄桃色の雪原。これらが故郷を出て幾星霜の月日を重ねても、何時までも私の心の支えとなっている。
 そうした中で昨日は、三浦綾子『母』(角川文庫)を滂沱の涙とともに一挙に読み上げた。これは、昨年『蟹工船』を中心にブームとなった小林多喜二の母への取材の形をとる少々珍しい形式の小説である。私も最初は三浦氏のインタビュー記かと勘違いしたが、列記とした小説である。ノンフィクションを踏まえたフィクションである。
 多喜二の母は生家が貧しく、嫁ぎ先も没落豪農ということで、まさに赤貧洗うがごとしの人生を送る。だが彼女の周りの人々は、連れ合いも、舅・姑も、子供たちも、多喜二の友人も、かれもこれもがとにかく優しいのである。だから多喜二の家は、明日の食い物に困っても、明るく楽しい笑い声の絶えない家庭であったという。カネはなくても幸せだったのである。
 多喜二は真っ直ぐな性格である。貧乏人が苦しむさまがとても我慢できない。だから小説を書き、活動し、共産党員となり、ついには改革(革命)のシンボルにまでされるようになる。そしてこれを恐怖した特高警察によって激しい拷問を受け、結局殺されてしまうこととなる。
 多喜二死亡の知らせを受け、孫をねんねこ半纏に負ぶったままの姿で、現場となった築地署に駆けつけた母は嘆く。「あの優しい多喜二が悪いことするはずない。わしや信じている。字も読めん。学もない。だが悪いこととよいことの区別はつけられる。貧乏人の味方することがなぜ悪いんだか? 弱い者の味方をしてどうして殺されなければならんのやら?」。
 多喜二が殺された2月20日の命日が近づくと、毎年、母は居ても立ってもいられなくなる。その思いは88歳で亡くなるまで終生続く。逆縁で子供を失った母親の喪失感の深さは男には想像がつかないのかもしれない。それも病いならまだしも、戦争や殺人、とりわけ多喜二のように権力の拷問で失った場合の、母親の気持ちは想像を絶する。
 多喜二は苦界に身を沈めていた女性タキを500円の大枚を叩いて身請けする。このタキは純真無垢な別嬪さんで、多喜二の初恋の人である。再度親に売り飛ばされないように心を砕きつつも、彼女に指一本触れない。狭い多喜二の実家で引き取り生活の面倒もみるが、決して恩着せがましい様子は見せず、惚れていながら結婚を迫ることもしない。タキは母や多喜二の兄弟とも仲良く、多喜二が殺されたあとも母たちとは深い親交を続ける。
 多喜二の人となりはこのエピソードで充分であろう。貧しくとも道理を弁え、性あくまでも高潔。それに尽きる。戦前の日本は貧しかったが、多喜二や多喜二の母のような人たちはいくらでもいた。だが彼らは貧しさに涙を流し煩悶することはあっても、非道に走る人は少なかった。みんな高潔だったのだ。私は戦後の生まれであるが、昭和30年代まではその雰囲気が色濃く残っており、そうした残滓の中で私も成長した。
 三浦綾子さんが多喜二の母を書くようになった切っ掛けは、彼女の夫の勧めということであるが、もっと直截的に気持ちを引かれたのは、多喜二一家の明るさと楽しさであったという。貧しくとも、家族が一致団結し仲良くさえしていれば、楽しみはいくらでも見つけることが出来る。勿論貧しさにも限度はあろうが、果たして、自らの少年時代と比べて現在の方が手放しで幸せだと言い切れる中高年者は何人いるだろうか?
 貧しい生活より物質的に恵まれた生活の方がいいに決まっている。しかしながら、幸せが富の完全な比例関数かというとそうではない面も大きい。これが経済問題の難しいところである。ウォール街のグリードたちや高成長に浮かれ切っている中国の人たちが、ろくなことにカネを使わないさまを目の当たりにするにつけ、そうした感がますます強くなるのは私だけではないであろう。
 翻って母親ということであれば、多喜二の母の対極にはたとえば鳩山さんのお母さんがあげられる。ご自身が石橋家の深窓の令嬢で、息子の夢のためにはぽんと何億ものカネを用立てることが出来る。可能であればそうした立場に肖りたいものである。でも多喜二の母なら何と言うだろうか? 多分彼女はそんな立場を手放しでは諒としないであろう。多分別なカネの使い途を考えるであろう。
 考えて見れば鳩山母もカネを死蔵するということではなかった。息子の政治的な夢を実現するために使ったのであるから、決して死に金ではない。だがそのカネはどこに行ってしまったのであろうか? 問題はそのことである。政治資金規正法は入口(資金源)にこそやかましいが、出口(用途)に存外無頓着である。
 小沢さんは政治資金で不動産購入することの是非を総務省に予めお伺いを立て、OKをもらっていたのだそうであるが、法規制上問題はないとしても、「政治資金でなぜ不動産?」という素朴な疑問は残る。政治にカネがかかるのは当たり前だと、プロの政治家先生は思われるのだろうが、おかしいことはおかしい。
 多喜二の母は字も読めず、学もなかったが、彼女の考えることは多くの共感を呼ぶ。少なくとも鳩山さんのお母さんがおやりになったことに比べて、彼女の生きざまははるかに分かりやすい。誘われるままに共産党に入り自らも党員となる。信頼し尽した息子が心底愛した共産党である。正義を行い、間違いを犯すはずがない。
 その一方で彼女はキリスト教会にも通い、葬式を教会でとり行うことを遺言とする。キリスト教の教えに、イエス・キリストにただただ共感したからだ。少し訳知りであるならば、無神論と有神論。元来同時には受け入れがたい思想を彼女は彼女なりに消化して、自家籠中のものとする。学がないからこそ出来た業であるかもしれないが、愛をキーワードとすれば、本当はマルクス主義キリスト教もそんなに遠い存在ではないのかもしれない。
 繰り返す。私の母は無論多喜二の母に近い。そういうこともあって、やはり私には多喜二の母の方が分かりやすいと思う。しかし真対極ではあるが、鳩山さんのお母さんも鳩山さんの“友愛”思想に共感しているのであろう。だからこそ息子を支えるのであろう。多喜二の母と鳩山さんのお母さん。対照的な二人であるが、“母親”という軸で括れば、弁証法止揚(?)が図られ、統一的な理解が可能となるような気がするのだ。
 いずれにしても母親というのは有り難い存在である。鳩山さんもお母さんの思いを裏切ることなく、自ら信じる正義を実現して欲しいものである。そうしてこそ初めて多喜二に負けない親孝行を実現することが出来るであろう。多喜二はカネに負けずに頑張った。鳩山さんも有り余るカネに負けるな!