北の人名録と異文化理解

 今年の冬は東京地方でも、これまでの暖冬と打って変わってとてつもなく寒い。といっても気温で言えば、せいぜいプラスの一桁台である。私は北海道の出身である。子供の頃にはマイナス30度の世界を何度となく経験している。年齢のせいもあるのかもしれないが、そうした私が朝床を抜け出すのがとても辛いのである。
 そんなことでぐじぐじしながら、北海道では春先になって気温が零度まで上がってくると、「いやいやいや、今日はなまら暖かいんでないかい」といった会話が飛び交い始めることをふと思い出した。それまでが寒すぎるせいと思うが、零度近くに気温が上昇すると本当に暖かく感じられるのである。一方、東京で零度まで気温が下がると外出が嫌になってしまう。そう言えば、先般見たテレビのシベリアの世界一寒い村を訪問する番組の中で、その土地の住民がマイナス40度とか50度という極寒の世界でも、「今日は暖かいんだ」と語っていた。これは完全に相対性原理の世界ということであろう。
 こんなことに思いを馳せたのは実は伏線がある。これは昨日銀座の書店で求めた、倉本總さんの『北の人名録』(新潮文庫、ハードカバーは1982年出版)を一挙に読み上げた影響が大きい。『北の国から』を始めとして倉本さんの書いたドラマはよく見るが、本を読むのは初めてであった。彼の本はもしかしたらドラマよりも面白いかもしれない。
 この本は、人名録というよりは富良野に住むまこと個性的な人たちの「人物紹介」である。勿論倉本さんの筆力に負うところが大きいわけだが、登場する皆々がただそのエピソードを語るだけでとにかく抱腹絶倒なのである。下手な落語の主人公よりはるかに面白みがあるかもしれない。
 本の全篇にほとんど登場し、この倉本ワールドの中で欠くことの出来ない人物に、愛称“チャバ”がいる。彼は地元で由緒ある電気店のれっきとした二代目である。美人の奥さんを持ち、可愛い二人の子供の父親でもある。こう聞くと普通の電気屋の主人である。だが倉本さんの手にかかると、彼はとてつもない人物に祭り上げられてしまうのだ。
 チャバはまずほら吹きである。年がら年中ほらを吹きまくって、何が本当か嘘か分からない。年甲斐もなく悪戯好きでもある。本気で人魂やお化けをつくって倉本さんを嚇しにかかって喜んでいる。またあまりに行動が奇矯すぎるので、流石の地元の人たちからも輪に入れてもらえないことがある。充分訛っているのに自分は標準語を話していると固く確信している。
 こんなチャバであるが、決める時には決めてくれる。基本的に親切で頼りにもなる。『北の国から』の撮影で田中邦衛さんや竹下景子さんが初めてやって来た時に、歓迎の宴席をプロデュースしたのはチャバである。メインは闇鍋ということで、どきどきはらはらしていた倉本さんは闇鍋の実態を確かめて感心する。普段であれば蛇だの虫だの何が入っていてもおかしくないのだが、その時はゲストの興を殺がないように、鹿肉とか熊肉とか基本食べておかしくないものを取り揃え心からの宴を設営したのだ。鹿肉とか熊肉などは東京ではゲテモノの類かもしれないが、これは地元では珍味である。地元でしか食べられない貴重品である。ゲストを精一杯もてなそうという気持ちの現われが、この珍味の闇鍋であるということだ。
 要するにチャバはどうにも奇矯な人物なのだが、そうした日常動作とは別に状況次第で常識人にもなる。倉本さんは全てお見通しなのだろうが、この本では、チャバを奇妙奇天烈な人物として徹底的に面白可笑しく血祭りに上げる。
 私は北海道を出てからかれこれ40年近くになるが、子供のころにこうした人物は周りにいくらでもいた。性格が本当に明るいかどうかは別にして、法螺話と冗談で相手を楽しませるという気持ちがとても強く、それが通じても通じなくても、他人を和ませることに何時も一生懸命。だけど一方で性根は繊細で人の痛みに敏感。
 倉本さんがチャバをただの奇矯な人物と心底思ったのか、あるいは彼にある種の北海道人の典型パターンを見つけたのかは知らない。慧眼を誇る倉本さんのことである。多分チャバの全人格をきっちりと捕まえていることは間違いないのであろうが…。このことに拘るのは、倉本さんがなぜチャバに注目したのかが気になるからである。引っかかりがなければチャバをこれだけ俎板に乗せることはない。
 ここで思い出すのは、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)である。渡辺さんの本では、幕末・明治初期における外国人による日本及び日本人感が重層的に紹介される。しかしながら日本及び日本人を讃えるものも、否定するものも、結局は自らの文化に引きずられて判断を下すこととなる。つまりは自らが生まれ育った文化・環境・歴史等の環境的制約を強く受け、ことごとくがそこから抜け出せないままに、異国の文化・人を語ることとなるということだ。どうしても自分色の眼鏡で見てしまうということだ。
 要は本質的に異文化理解は困難を極めるということである。倉本さんもチャバも、ついでに私も等しく日本人である。加えて倉本さんは最大級の文化人である。そうした文化人の代表である倉本さんをもってしても、北海道人という異民族及びその文化への違和感は拭いがたいということなのであろう。
 倉本さんは富良野に住み始めてからもはや30年である。私の北海道経験より既に長い。この本を出版したのが1982年で富良野に住んでまだ2〜3年のころである。それから30年を経て北海道および道産子への理解も格段と深まっていることであろうが、それでも生まれ育った人間と途中参加した人間ではやはりなかなか完璧な理解は難しいのではなかろうか。懐かしさに駆られて手にした一冊の本が久しぶりに故郷に思いを馳せさせてくれた。