落語に学ぶ日本再生の秘訣

 2010年が明けた。初日の出を見て帰ってきたところである。今年の元旦は冬型の気圧配置が強まり全国的には大荒れだそうだが、東京地方は夜来の風も収まり実に穏やかな正月を迎えた。司馬遼太郎さんが『峠』で主人公の河井継之助に言わせているように、この時期関東地方の晴天さは際立っている。山脈の向こう側にお住まいの方がたには申し訳ないが、実に有り難いことである。
 昨年の元旦の本ブログでは、Bobby McFerrinの“Simple Pleasure”というアルバムを聞きながら、それに収録されている曲に因んで“DON’T WORRY, BE HAPPY”と題して書いた。昨年は国民の大きな期待の下に民主党政権が誕生した。「心配ないよ。みんな幸せになろうよ」と行くかどうかはこれからが正念場ということであろう。
 翻って今年は落語を聞きながらこれを書いている。今丁度かかっているのは、金語楼の『きゃいのう』。金語楼という名前も今は知る人が少なくなっていると思うので、若干解説することとする。金語楼は落語家出身であるが、落語のジャンルに止まらず、映画や舞台に加えて、テレビ時代を迎えてからはドラマやバラェティーに八面六臂の活躍をした人で、今なおエノケン榎本健一)、ロッパ(古川ロッパ)らとともに日本の三大喜劇王と称えられている。
 そうした中で金語楼新作落語を得意にしていたが、『きゃいのう』はその代表作である。噺のあらすじは、歌舞伎役者の團子兵衛という人物が友達にばったり出会い、その友達に向かって「最近芝居を見にきてくれない」となじる。ところがその友達から「お前は動物の足とか何とかばかりで、見にいく甲斐がない」と切り返される。これに対して團子兵衛は「今度はセリフのある役をもらった」と自慢げに応じる。「でそのセリフは?」というと、「きゃいのう」とさっぱり意味不明なのである。
 翻って歌舞伎には「渡り台詞」という技法があり、これはひとつのセリフを複数の役者が分割して言う形式のことということである。なお一般には、大名家の家臣や腰元などのセリフに用いられることが多いということでもある。この噺でも、腰元三人が「むさくるしい。とっとと外へ行きゃいのう」という少ないセリフが三つに分割される。すなわち三人でこのセリフをそれぞれ、「むさくるしい」「とっとと外へ行」「きゃいのう」と分け合うのである。それで團子兵衛のセリフが「きゃいのう」であるのだ。
 歌舞伎の世界でこれが一般的であるということだが、考えてみれば唐突ながらこの方式は、究極のワークシェアリングと言っていいであろう。少なきを分かち合うのがワークシェアリングである。今は悪あがきをせずに、乏しさを分かち合うことも必要なことではないかということである。
 そうした目で落語に学ぶということであれば、他にもたくさん思い浮かぶ。たとえば五代目志ん生が得意とした『火焔太鼓』、三代目三木助が得意とした『芝浜』などからも学ぶところが大きい。
 『火焔太鼓』の主人公である古道具屋の甚兵衛さんはお人好しの商売下手。おかみさんからいつもお尻を叩かれ煽りたてられる毎日。ところがひょんなことで手に入れた汚い太鼓がさる大家のお殿様の目に止まり、予想もしない高額の値段で買い上げられることとなる。甚兵衛さんは大金を手にし、もちろんおかみさんも大喜びとの一席。
 『芝浜』は棒手ふりのしがない魚屋である勝五郎さんが主人公。勝五郎さんは商売の目は確かだが、大酒呑みの怠け者。おかみさんにお尻を叩かれて渋々仕入れに出掛けた芝浜で、大金の入った財布を拾う。勝五郎さんは喜び勇んで家に帰り、おかみさんにそれを告げる。ところが勝五郎さんが罪人になることを恐れたおかみさんは、勝五郎さんが友達を集めた酒盛りで酔いつぶれた隙に、財布を拾ったことを夢のせいにしてお上に届けてしまう。結局財布を拾ったことを夢と納得した勝五郎さんは、その後心を入れ替えて商売に励む。そしてついには棒手ふりから小商いながら店を構えるまでに成功する。3年後の大晦日におかみさんが事実を告げて目出度し目出度しの一席。
 『火焔太鼓』も『芝浜』もその教訓は、欲をかかずに商売に励めば自ずから結果は付いてくるということである。省みれば昭和の起業家は、本田宗一郎さんも松下幸之助さんも誰も彼も最初からカネを儲けてやろうという野望で事業を始めた人は少ない。これがホリエモンをはじめとする平成の起業家との大きな相違点であろう。
 元旦を迎えて落語を聴きながらふと思ったのは、八方塞がりのどん詰まりの中でこそ急がば回れ。これが大きな日本再生策になるのではないかということである。ひとつは『きゃいのう』から学ぶ、乏しさを分かち合うワークシェアリングの精神。今ひとつは『火焔太鼓』や『芝浜』から学ぶ無欲の利ということである。
 財政政策の出動によって景気回復のないことは自民党政権下で既に実証済みである。ところが勢いに押されて民主党はまたぞろその轍を踏んでしまった。公共投資依存経済からの脱却ということは、景気回復を財政に期待してはならないということである。結果が借金の山ということが見え見えであるからだ。民主党にも落語ファンは多いことであろう。年頭に当たって、今年の民主党の課題は落語に学ぶことこそ党是として欲しいものである。