鳩山・小沢の阿吽の連携?

 先週末、国会議員140名余を含む総勢600名にも上る小沢訪中団が中国を訪れた。胡錦涛主席との今か芝居じみた握手会などもあって、小沢さんの権勢示威が最大の目的とマスコミは伝えるが、これは本当にそれに止まるのであろうか? いずれにしても前から計画されていたことであったとしても、普天間アメリカとぎくしゃくするこの時期に、なぜこうした大デリゲーションを従えて敢えて訪中に踏み切ったのかについては、大きな疑問が残る。
 一方外交の鉄則なのかもしれないが、アメリカは「普天間辺野古移転は政府間の合意事項」として他の可能性を探ろうともしない。しかしながらベルリンの壁崩壊以来20年が経過し、日米安保50周年を来年に控える今日にあって、安全保障戦略の基本的枠組みがこれまでの平行移動でよいのかどうかは、鳩山首相の外交ブレーンと言われる寺島実郎さんらの指摘するとおりではないのだろうか。
 沖縄返還時の密約、非核三原則の尻抜け合意など、国際政治は不条理と不条理が鬩ぎ合う魑魅魍魎が跋扈する世界である。外交に正義はない。あるのは只管国益への関心のみである。「この50年誰が日本を守って来たのだ」という恫喝なども、それもこれもアメリカの国益あってのことと達観すれば、これは外交上の常套句以外には通じない理屈と言ってよいであろう。
 冷戦構造下、ドミノ倒しを警戒するアメリカは、極東において韓国・台湾・日本などを対共産勢力の橋頭堡とする中で、自らの安全保障を画策した。日米安保も言ってしまえばそれだけのことであり、お人好しサム小父さんは所詮絵空事の世界である。アメリカが恩着せがましい発言を繰り返し、如何に秋波を送っても、自らの国益を損じてまでも日本を守る必然性がないという事実を凝視すれば、それが空念仏にすぎないことは必然である。一体に真面目に耳を傾けることは徒労にすぎる。
 普天間を巡るマスコミの論調は挙って、「アメリカが怒っている。このままでは済まないから、何とか早く妥協しなければならない」というものだ。とまれ。この期に及んでわれわれはアメリカの何を恐れなければならないというのであろうか? 安保が破棄されて、北朝鮮や中国が攻め込んで来ても守ってくれない。あるいは日米貿易摩擦の再燃。そうしたことが怖いのであろうか? アメリカと仲よくすることに無論異論はない。だがアメリカと組むことはよいことばかりでないことはこれまで沢山経験したはずである。
 対等な関係とは、“是々非々”の対応が可能な関係ということである。小泉政権下、アメリカとの関係は極めて良好であった。何でも“yes”“yes”と尻尾を振っていれば、愛い奴となって当たり前である。そんなことは国と国の関係を持ち出すまでもなく、個人の関係も同じである。しかしあまりにも過ぎたイエスマンは愛い奴であっても、信頼の置けるパートナーとはなりえない。
 真のパートナー関係では、何を置いても外交的諫言の可能であることが大前提であるはずだ。それもないのに、対等なパートナー関係など構築することは出来ない。今年は出席しなかったが、年末恒例の日経・CSIS(米国際戦略研究所)セミナーなども、結局は体のよいインテリやくざの恫喝集会である。ここでのいわゆるアメリカの知日派知識人なる方々の発言は、悉く鎧の陰に刃をちらつかせており不愉快極まりない。日経は何を考えてこうしたセミナーを毎年主催するのかは分からないが、ここに端無くも“対等な”パートナー関係の現実が露呈されていると言ってよい。
 沖縄に実際に行けば普天間に限らず、嘉手納だって市街地の真ん中に膨大な基地を構えている点で変わりのないことは一目瞭然である。普天間の危険度が極端に高いのはよく分かる。だが普天間辺野古に移しただけでは沖縄の基地問題は解決しない。今後とも沖縄県民に過剰な負担をお願いするにしても、その前に冷戦終結後の極東地域における新しい枠組みが示されなければ、本当は先に進めないはずである。アメリカは旧政権下における合意を金科玉条に早期決着を迫るが、今ここで安易な妥協をしてしまえば、またぞろズルズルべったりで真の問題解決は却って先送りされてしまう。
 われわれは戦後、アメリカという社会を憧れと畏敬をもって眺めて来た。わが国の高度成長はアメリカという大きな目標があってこそ実現したものであることは間違いない。だが翻って、現在のアメリカは、経済的には勿論政治的にも軍事的にももはや張子の虎ではないのか? イラクで失敗し、アフガンで失敗し、さらに遡ればヴェトナムでも大失態を演じている。威勢とは別に、軍事的実績は惨憺たるものである。
 われわれはかってのアメリカの凛々たる姿に怯えてばかりいるが、実はヴェトナム敗戦の時に既に張子の虎ぶりを露呈していたのではないのか? 要は正体を確かめることなく、枯れ尾花に怯えてばかりということではないのだろうかということだ。東西冷戦はアメリカの勝利の裡に終焉した言われる。だがよく考えればアメリカは何をしたわけでもない。共産圏諸国が勝手に自壊しただけのことである。勝手にこけたのである。
 共産圏諸国自壊の原因は偏に経済問題であった。ベルリンの壁が崩壊した1989年時点において、既にアメリカは多くの経済問題を抱えていた。アメリカ経済も自壊の兆候がそこかしこに見られたということである。それを何とか今日まで生き延びさせることが出来たのは、如何にも見え見えな金融立国という共同幻想体を構築したことによる。それが共同幻想体であったことは、リーマンの破綻を嚆矢とする金融立国構想の無様な瓦解によって明らかであるわけだ。
 鳩山・小沢の民主党政権はそうした実情を踏まえて、新しい外交戦略構想を練っているということではないのか? 中国への行き過ぎた接近は確かにリスクを高めることになるかもしれないが、これまでのパートナーが張子の虎であるとすれば、それに従来どおりの軸足を掛け続けることもこれまた危険な話である。
 昨年の12月19日の本欄では第5回日経・CSISセミナーに出席した感想を記した。その時アメリカ側は日米関係を成熟した夫婦関係に譬え、アメリカが中国と接近したとしても、成熟した夫婦は言葉を交わさなくても意思が通じているはずではないかということを主張していた。しかし考えてみよう。今増えていると言われる熟年離婚は一様に、会話の少ないことが最大の原因とされる。「会話が無くても意思が通じる」などという話をまさかアメリカ人から聞こうとは思わなかったが、会話を求めるパートナーに「黙れ」という話は離婚の危機を高めてもおかしくない。アメリカはそのことに気づいているのであろうか?
 鳩山さんのアジア共同体構想の展開と小沢さんの中国人脈の誇示が機を一にしているとするならば、普天間問題の解決をもう少し先送りしてよいのではなかろうか? もしそうだとしたら、民主党政権は、マニフェストのような雑把に手枷足枷を嵌められて自縄自縛に陥るのではなく、その構想をしっかりと打ち出すことこそが求められていると言えるのではないのだろうか?
 今回書いたことは、私の妄想にすぎないかもしれない。だが一連の新政権の動きからは沢山のクエスチョンマークが発信されていることも事実である。マスコミは相も変らず、三流週刊誌まがいのスキャンダル報道を繰り返すばかりであるが、必ずしも良好な関係にあるとは伝えられない鳩山さんと小沢さんが阿吽の連携で互いに陽動作戦を取っているのだとすれば、それを見逃した現代を生きるジャーナリスト氏たちが後世に残すのは只管無能の烙印ばかりであろう。やっぱり深読みかもしれないが…。