細かすぎる民主党マニフェストへの苦言:メッセージが心に響かない

 予想されたことではあるが、27日に発表された民主党マニフェストにはやはり落胆した。私は今回の選挙で政権交代を熱望している。そうした意味では民主党の応援団である。だが発表されたマニフェストは究極のバラマキという点では自民党と大差なく、しかも国を導く大きな指針も欠落している。全てに触れることはできないので、この点に関して少子化対策と地球環境の二点に絞って論じてみたい。
 まずは少子化対策である。子どもを安心して生めない国に未来はないというのはよい。だがそれがなぜ「子ども手当・出産支援」なのだろうか。子どもを安心して生めないのはカネだけの問題ではない。社会・教育・医療などの諸環境を総合的に勘案しなければ、この問題の出口はない。このための予算が2011年度から5.5兆円ということである。政策経費である一般歳出(2009年度当初予算:国債関係費・地方交付税交付金を除く)が52兆円規模であることと比べると、この大きさが際立っている。
 いくら増税なしで予算の組み替えを主張しても、今年度は総予算の半額以上を国債収入に依存することを覚悟しなければならない状況である。そうした中で、充分な国民的議論も経ないままでこんな法外なバラマキをマニフェストに織り込むことなど、まったく正気の沙汰とは思えない。民主党を支持することが小泉郵政選挙のときのように、こうしたマニフェストを自動的に認めるということであれば支持自体を考え直さなければならないかもしれない。
 少子化に関して私は、そもそも子どもを生みにくい、育てにくい環境ということはあるにせよ、それが国民の選択であるとすればそれも致し方ないことと考えている。38万平方キロメートルの狭い国土に1億3千万人の国民がひしめく姿がのぞましいことかどうか、冷静に考えるべきであるということだ。因みに、国土面積に大差ない英・仏・伊の人口は概ねわが国の半分である。独だって三分の二程度である。それがGDPには表わすことのできない、国民生活の豊かさを生み出しているのではないか。安易に「子ども手当・出産支援」などを予算化する前に、そのことがもっと詳らかに議論されていいのではないかということだ。
 経済成長率は定義的に「生産性上昇率×人口増加率」と表わされる。したがって人口が減少に向かえば経済成長率にはマイナスに働く。しかし一方で同式からは、生産性上昇率が人口減少率を上回れば経済成長率が上昇することも導かれる。一定の成長率を達成するためには、生産性上昇率の寄与の大きい方が「一人当たり成長率」の上昇により寄与する。ということであれば、今考慮しなければならないのは徒に「人口減少」を恐れるのではなく、「生産性向上」に努めることである。そのための議論が如何にも欠落している。
 次に地球環境問題。なぜこの時期に「ガソリン税等の暫定税率を廃止」し、「高速道路の無料化」を図らなければないのだろうか。このための予算が合計で3.8兆円である。先般も書いたが1000円高速料は高速道路の渋滞を促進し、地球環境に大きな追加的な負荷が与えられる。民主党案では現行実施策よりさらに進んで恒久化と通年化が図られる。通年化は現行の土日休日集中を分散化させる効果はあるのかもしれない。しかし休日の関係で、一般利用がここに集中するとすれば分散化効果はあまり期待できないであろう。地球環境の観点からは自動車利用を抑制する方向が正しい政策である。この案は明らかに大義への逆行策である。
 オバマ政権はグリーン・ニューディールの一環として全米新幹線網構想を打ち出した。こうした輸送スタイルのチェンジが、単独での車の移動よりエネルギー効率がよくなることは無論である。わが国は既にほぼ新幹線が網羅されこの面での追加的な効果は期待できない。だがその精神には学ぶべきであろう。地方ではバス・電車移動の便が悪化の一途を辿る中で、車を一人一台保有する世帯も珍しくなくなっている。地方の公共輸送システムの建て直しこそ優先されるべき課題ではないのか。
 さらに全米新幹線網構想が意義深いのは、これがビッグスリーへの決別宣言でもあるからだ。地球環境問題やエネルギー効率ということを真剣に考えれば、自動車時代は少なくとも先進国においては過ぎ去ったということであろう。こうした文脈の中で自民党も勿論そうであるが、民主党にもその認識と決意がみられないことに不信感を抱かざるをえないわけである。
 もっと言えば、これはトヨタ依存体制の脱却が図られなければならないということでもある。ここ数年わが国経済はトヨタやホンダの輸出に支えられてきたことは否定できない。だが国内で生産してそれを輸出すれば国内に環境負荷がかかることも間違いない。2005年の産業連関表によれば生産した乗用車の51.3%が輸出され、その輸出製品全体に占める割合も10.6%と輸出依存が群を抜いて大きい様子が窺われる。こうした生産にも当然化石燃料が使用され、温室効果ガスが排出されるわけだ。要するに、輸出製品を使用する人々のために貴重な排出権を費消していることになる。
 これまでこうした観点からのアプローチはあまりみられていないが、このことは大変重要である。29日(水)の日経新聞/経済教室では東京大学の戸堂康之先生が、「日本経済体質強化の方向 今こそ『内需より輸出』で」という論文を発表されている。この論文ではタイトルどおりに、わが国は今後とも輸出立国で行かなければならないことが主張される。しかしこの中でも輸出の環境負荷の問題などには全く触れられていない。なお本稿の本題とは離れるが、戸堂論文は輸出の国民経済的意義に踏み込んでいないことも不満である。
 ともあれ地球環境問題に全面的に取り組むということは、一国の社会経済構造を抜本的にチェンジする話である。にも拘らず民主党マニフェストにおいて、そうした骨太の政策的な輪郭が見えてこないことに欲求不満が募るということだ。
 前述したとおり特定政党を支持すると言っても、その政党の全てを支持するわけではない。たとえ民主党に投票したとしても、私個人としては好ましくない政策もあるわけだ。マニフェストの記載事項が細かくなればなるほど有権者は、(政党選択の局面で)大いに自己分裂に悩むこととなる。マニフェストなどは、大枠の政策性・方向性への賛同を誘うためのツールとしての意味合いをもたせればよいのではないのか。細かくなればなるほど、また具体的になればなるほど有権者は混乱してしまうはずである。なおこうした陥穽に陥るのは、田原総一郎さんあたりの挑発に乗りすぎるからであろう(サンデープロジェクトなどにみられるように、政策に関して具体的に具体的にと強圧的に迫りすぎである)。そうした意味で、田原さんなどももはや老害以外のなにものでもない。
 そう言えば先週出席した日立のセミナーで塩川正十郎さんも、「最近のマニフェストは細かくなりすぎている。マニフェストなどは大方針を示せばよいものだ」との趣旨で発言されていた。ご同慶の至りである。考えて見れば、池田内閣の「所得倍増論」、田中内閣の「列島改造論」などは、ことの良し悪しは別にして国民へのメッセージ性は大変大きかった。公約にもコピーライティングの才能が必要ということであろう。
 なお鳩山代表は29日になって「あれは正式なマニフェストではない」と仰り、27日に発表したものは政権政策集であるとしたが、これはさっぱり理解できない。もしマニフェスト発表が拙速であり、背後に調整残しがあったのだとすれば、ここで強調しているようにやはりマニフェストのレベルは再考されなければならないであろう。「細かすぎるマニフェストを実行できないこと」が公約違反に問われ、そこで政権が躓くのでは如何にも詮方ない。否、もっと直截的に言うと馬鹿げているということだ。