自民党さん、本当にそこまでやるのですか?:東国原知事の担ぎ出し

 報道によると、自民党は東国原さんを東京あるいは南関東で比例1位で処遇し、選挙後に大臣ポストまで考えているということだ。東国原さんを自民党に取り込むのは、彼の国民的人気に縋りつきたいためでしかない。この報道を見て、私は本当に自民党に愛想が尽きてしまった。多分同じ思いでやるせなくなっている人びとは、他にも多くいらっしゃるであろう。自民党はこれで完全に自壊した。
 自民党が間違えているのは、第一に、東国原さんは知事はもとより国政を担当する人物としては相応しくないにも関わらず、それ(国民の多数の声)を無視して引っ張り出しを画策しているからである。東国原さんのこれまでの行状は本当のところ芳しくない。講談社襲撃事件(1986年)での現行犯逮捕、児童福祉法等違反に関する事情聴取(1998年)、後輩タレントに対する暴行容疑(1999年)など、こうした司法事件に直接関わったことは、ご本人もお認めになっている公然の事実である。これらは贈収賄罪と並ぶ立派な「破廉恥罪」である。禊が済んでいるとか、微罪であるとかにかかわりなく、犯した罪は罪であろう。
 小沢さんは政治資金で躓き、代表をお辞めになった。しかし彼が目的としたのは飽くまでも政治の追求である。もし小沢さんの事件が「破廉恥罪」に列するとしても、東国原さんの事件とは質の異なることは明らかである。小沢さんのケースはまだ決着がついたわけではないが、騒動が佳境だったときのことを思い出して欲しい。あのとき小沢さんに対して代表辞任どころか、議員辞職までを突きつけた。こうした事実から判断するだけでも、私は、東国原さんは絶対に知事ならびに国政を担当する政治家としては相応しくないと考える。彼が間違えて文科大臣などになった日には、洒落が洒落でなくなってしまう。自民党が本気で東国原さんの登用をお考えであるのならば、彼が政治家として相応しいと判断する理由をまず国民に示して頂きたい。
 第二に、如何に馬鹿な国民であっても、流石に薄っぺらなポピュリズムにはもはや辟易としていることに、自民党が気づいていないことである。国民に人気のありそうなタレントを担ぎ出してそれで票の嵩上げをするという、極めて国民を愚弄しきった方法を採用する中で、自民党が選挙に勝利して来た歴史は否定できない。確かにこれまではそうした手法が通用した。それは国民に余裕があったからであろう。正直なところ政治家など誰でもよかったのだ。誰を選んでもそんなに世の中悪くなるものではないという、漠然とした安心感があったからである。全共闘なども、いくら暴れても世の中が壊れる心配がないから、安心して暴れることができた。
 だが明らかに潮の流れ目は変わった。失われた15年にやっと収束の兆しが見え始めた矢先の世界金融危機勃発。今現在辛うじて恵まれている人たちだって明日はわが身の状態である。これではとても政治に余裕をかましている暇などない。加えて政治の無策に端を発したわれわれ国民の生命線である、雇用・医療・年金等々の崩壊。これらを眼前に突きつけられては、いくら暇人であっても政治で遊んでいる暇などすっかりなくなってしまったというのが本当のところである。この事実に自民党はまったく気づいていないから、東国原さんの担ぎ出しなどという愚策を考えるのであろう。
 第三に、自民党が自壊の兆候をまったく無視していることである。千葉市長に続いて、先月28日投票の横須賀市長選挙では、弱冠33歳の無所属新人候補吉田雄人氏が、小泉さんが徹底的に支援した現職の蒲谷亮一氏に競り勝って見事当選した。これは千葉市長選などとは一味も二味も異なる驚天動地の出来事である。未だ地元人気抜群と見られた小泉神通力もさすがに通用しなくなりつつあることの、これは魁だからである。
 次男進次郎氏を早々と後継に指名した小泉さんであるが、この体たらくでは子息の当選にもお尻に火が点いたということであろう。古代ローマでは、統治策として「パンとサーカス(見世物)」の提供が多用された。要するに愚民策である。自民党はこれまで一貫して国民を愚民として扱ってきたが、こうした中で、小泉劇場などは所詮その最後っ屁と言ってよい。横須賀市長選は、愚民の反乱である。政治に倦み疲れた国民は、もはや「パンとサーカス」だけでは動かなくなってしまったということである。
 いずれにしても自民党が野に下ざるをえないことをいよいよ確信せざるをえない。この期に及んで自民党はその覚悟がないから、つい東国原担ぎ出しなどを画策してしまう。本当に政権政党としての矜持を保つのであれば、来るべき選挙の結果など気にせずに、民主党としっかり政策で渡り合うべきである。今民主党に傾いている人の多くも、民主党に全幅の信頼を寄せているわけではない。飽くまでも「相対論」である。自民党の敵失が続くから倦んでいるのである。東国原さんの担ぎ出しなども、所詮自民党の敵失に繋がることを自覚しないから、余計心が離れてしまう。国民は馬鹿であるかもしれないけど、時々は正気になる。そのことを認識しないから、何時までも愚民策を続けるのである。
 このところしばしば東国原さんについて書くことが多い。だが本当はもうこの人のことは書きたくないのである。書くに値しない人であり、書くのは時間の無駄であるからだ。しかしながらこの人が誇大妄想的な行動や驕慢な言動を続け、自民党やマスコミ、加えて一部国民がそれに迎合する限り書き続けなければならない。とても気の重いことである。