鳩山辞任とコーポレート・ガバナンス

 鳩山総務相が辞任した。鳩山さんについては、草なぎ問題の時に触れたとおり、これはもしかしたらお育ちのよさのせいかもしれないが、政治家としておっちょこちょいすぎると思っている。したがって私自身の好感度は低い。彼の言っていることが正しくてもなくても、心情的に支持することはない。ここでは「百歩」下がって、単純に、コーポレート・ガバナンスの観点から問題点を整理してみることとしたい。
 鳩山さんは、総務大臣日本郵政(以下JP)に対する人事認可権を楯にとって、西川社長の再任をしないとした。総務大臣の認可権限において郵政が決めた人事案に対して、合理的な理由が認められれば不認可とすることに不都合はない。この限りでは、鳩山さんのおやりになろうとしたことは是認されてよい。一方でややこしいのは、株主が財務大臣であることだ。国が保有する財産は財務省が一律管理することとなっており、他省庁が主管であっても形式的な株主は財務大臣となる。したがって株主総会に出席し、株主としての権利を行使できるのは財務大臣でしかない。
 こうしたケースは旧特殊法人においては当たり前のことである。つまりおカネを出すのは財務省、実際に主管するのは主務省という二元支配が行われているということである。こういった場合通常、閣内不一致ということは前提とされていない。逆に言えば、閣内が一致してガバナンスに当たることが大前提とされているわけである。そうした意味では、総務相財務相も形式的権限を有するだけであり、実質的には閣内に全責任を負う総理大臣が全権を握っているというのが正しい解釈であろう。そう考えればタイミングと手法に問題あるとしても、西川社長を本気で支持するのであれば、そのことを国民に説明した上で、麻生総理は「最終責任者として、JPの人事案を認める」とすればよかっただけのことである。
 単純な話である。ただこうした中で、内閣筋あるいは自民党筋から展開されていた極めて不思議な理屈についても触れておかなければならない。その理屈は理屈でもなんでもなく、誰かが苦肉の策で強弁しているとしか思われないからである。それは「民間企業が決めたことに、政府としてごたごた言うべきでない」という見解が、主として郵政改革派議員の先生がたから示されていたことである。
 「資本注入された金融機関は国営企業」とされる例を挙げるまでもなく、国が100%株を所有する企業はとても民間企業とは言えない。人事について認可権を留保したのも、JPが決定した事項について、とりわけ公益上の問題が生じることがあれば、それを認めないというこれは強い意思表明であるはずだ。つまりガバナンスについての最終責任は政府が負うということである。これを完全な民間企業と混同して議論するのは、政治家としてかなりおかしい。特に郵政改革派=市場原理主義支持派の先生がたが、この理屈を振りかざしているのを見て、驚きを通り越して開いた口が塞がらなくなってしまった。市場原理主義者は、株主主権の信奉者であるはずだ。株主主権の立場からは、取締役だって委員会だって、基本は株主の意向を反映する機関であるにすぎない。優先されるのは傀儡にすぎない取締役や委員会ではなく、株主この場合は財務相=政府ということである。すなわち政府の意思もっと言えば国民の意思が、JPの決定に優先されなければならないということである。
 そういう目でJPの取締役と各委員会のメンバーを見てみよう。取締役は社内が西川善文(社長:元三井住友フィナンシャルグループ社長)、高木祥吉(副社長:旧大蔵省出身で元金融庁長官)の2名、社外が牛尾治朗ウシオ電機会長)、奥田碩トヨタ自動車相談役)、西岡喬三菱重工相談役)、丹羽宇一郎伊藤忠商事会長)、奥谷禮子ザ・アール社長)、高橋瞳(青南監査法人代表社員)、下河邉和彦(弁護士)7名で、合計9名。一方西川社長を指名した渦中の指名委員会メンバーは、委員長が牛尾治朗、委員が西川善文高木祥吉奥田碩丹羽宇一郎の計5名である。
 要はこうしたメンバーで国民(=株主)の負託に応える形での意思決定が可能か否かということである。指名委員会のメンバー5名中西川社長、高木副社長は疑惑の当事者である。こうしたメンバー構成でなされた指名が、鳩山さんが指摘するまでもなく、疑惑の上塗りをしていると見られても不思議ではない。小沢問題ではないが、JPには国民へ分かりやすく説明する責任がある。そうした上での人事であろう。
 D・ドーア『誰のための会社にするか』では、社外役員に期待するメリットとして以下が挙げられる。第1に、自分たち経営者の行動が、株主の忠実な代表としての株主価値拡大という「正道」から逸脱しそうになった場合にブレーキをかけて規制してくれること、第2に、経営者は常に、法律違反や不正を犯す誘惑にさらされている存在だから、自分の良心の力を補ってくれること、第3に、社会の公器である企業のインサイダーが、時に忘れがちな公益や、市民としての常識・良識を代弁すること、第4に、経営者との意思疎通がよく、経営者の経営目標・価値体系を大体分かち合いながら、社内にはない知識、情報、判断力を貸してくれること、第5に、その存在自体が、従業員に対して、トップが私利私欲に走っていないことを保証すること、第6に、「近代的な会社だ」「経営者が外から規制されている会社だ」という印象を株主や投資家に与えて、(実際上は、あまり会社内のことに社外重役を深入りさせないままに)株価の維持に貢献してもらうことの、6つである。
 そして上記のうち、「第三、第四、第五の期待が満たされれば上出来」という見解が示される。(社外重役への)期待は大きいが、種々の思惑が絡んで法の期待通りには展開していないということであろう。さらに社外重役の構成についていくつかのケースを提示して議論されるが、ここには「財界のOBやメディア・学会の名の通った人」もパターンのひとつとして俎上に挙げられている。JPはまさしくこのケースである。先生は「そうした会社の多くは、その名を借りて、飾りとしているのか、あるいは知識、知恵、判断力の源泉として登用しているのか、一人一人個別のケース見ないとわからない」と中庸の言い方をされるのであるが、言外には「前者(お飾り)のケースが多いのでは?」というニュアンスが色濃いように思われる。
 長々とドーア先生を引用したが、要は先生が示された社外重役に対する「6つの期待」にJPの社外取締役がどれくらい応えているかということである。「正道」から逸脱しそうになったときのブレーキ、「良心」の喚起、インサイダーの排除、私利・私欲に対する監視等々。こうした期待はJPの場合、株主ならぬ国民の権利である。そのことを社外取締役なかんずく指名委員会がどれくらい忖度して、西川続投にゴーサインを出したのかということである。国民の代理人である政府・与党が、そうした極めて形式的で幼稚なガバナンス理論の尻馬に乗るばかりで、説明責任をきちんと果たさないからこの大事な時期に無用の混乱を引き起こす。
 なお仄聞するところによれば、財界が西川続投を強く支持するのは、JPのような「安い給料でこき使われる」ポストに就いてくれる財界人が他にいないからだという。本当にそうだとすれば、だから日本経済は凋落の一途を辿るのである。温室効果ガス対策に関する経団連の腰砕け振りについては、以前批判した。それと同じコンテクストということか? 要するにこの国には、国の憂える経営者はもう存在しないということなのかもしれない。
 また旧特殊法人の経営陣は、トップ:財界人OB、№2:官僚OBという組合せがほとんど唯一である。これは財・官の談合・出来レースであることは見え見えである。以前であれば、天下り官僚の報酬負担だけで済んだものが、今では「天上がり」財界人の報酬負担まで賄わなければならない。それも「天上がり」財界人からは安い給料に不平たらたらであるとすれば、国民は踏んだり蹴ったりである。
 暴論と言われかねないが、私は、JPのような企業のトップは公募によるべきと考えている。世間的に、功なり名をとげた経営者が本当の経営者であるかどうかは、実際のところはよく分からない。私のささやかな経験でも、役員間違いなしと下馬評の高かった人が早々と職を辞し、その一方でとんでもない人物が役員に登用されるのを目の当たりにして来た。そう考えれば経営能力の高い、埋もれた人材は数多存在するのだと思う。そういう人たちを活用すればよいのではないかということだ。
 折しも千葉市では、31歳の市長さんが誕生した。個人的にはいくら優秀でも経験の浅い若者に政令指定都市の首長さんをお願いするのは気の毒な気もするが、でも事実として市民はこの若者に行政を委ねる結論を下したわけである。100万人になんなんとする大都市の舵取りを31歳の若者に託す勇気を持てば、JPのトップを公募で採用することなど苦でもないのではなかろうか?