経済学・経営学などもう要らない!

 1週間前(6月4日)の本欄に、松井彰彦先生がお書きになった『経済論壇から』(5月1日付日経新聞)の論評にコメントを書いた。その時には憚かられたが、やはり必要と思い直して付け加えることにする。それは論評者である松井先生も論評される立場の先生がたも全て、東京大学の学部もしくは大学院を卒業されていることである。これは松井先生が自らこうした論者をお選びになったのか、あるいは日経新聞が用意したのかは分からないが、全て東京大学出身というのは、下司の勘繰りであったとしても解せない。取り上げた先生がたは全て肯定的に扱われ、そうした上で「真の専門家を見抜かなければならない」というのは如何にも見え見えの議論ではないのか? 敢えて言おう! だから経済学者は笑われるのである。
 土台実社会経験のない先生がたが経済を論じるのは、私は噴飯物だと思っている。いくら優秀な頭脳をお持ちになっていてもである。要するに童貞・処女が妄想を逞しくして閨房術を語るのと同じことである。そういった愚は言下に否定されるであろうに、経済学者の先生がたはどうして信用されるのであろうか? 実社会と隔絶した、美しいヴァーチャル・リアリティの世界を勝手に作り上げ、その中での議論に終始する人たちの何を信用して、そこに権威を求めるのか? 中谷巌先生が懺悔し、竹中平蔵先生が強弁する姿に誰が共感するのであろうか? 私にはさっぱり分からない。
 経済学もそうであるが、もっと不思議なのは経営学の先生がたである。会社勤めもされたことのない先生に何が経営学であろうか? 私が非常勤で出ている大学にも、この春から私の娘ぐらいの先生が経営戦略論の担当として採用されたが、いくら立派な学位を取得され、いくらよい論文をお書きになったとしても、教えられる学生はたまったものではないということに、大学もご本人もどうしてお気づきにならないのであろうか? もしお気づきになって敢えてそうしているのだとすれば、これは学生に対する大きな背任である。
 大学で教えて思うのは、教える先生がたが作る勝手なカリキュラムと学生たちのニーズが見事に噛み合っていないということである。大学によって区々であるかもしれないが、ブランド大学を卒業しても企業で仕事をする上での即戦力とはならない。むしろ即戦力という意味では昔の商業高校や工業高校の卒業生の方がはるかに機能していたはずである。大学における実学志向が強まってもこの有様である。
 大学側からは学生の基礎学力不足を指摘する声も強いわけだ。しかし実際の社会で必要なのは、経済学や経営学の高等な理論ではない。有体に言ってしまえば、必要なのは「読み書きそろばん」レベルの能力である。中等教育以下が崩壊しているのであれば、「これは大学でやるものではない」などと言わずに、最後の砦として大学が機能するようにすればよいのではないのか?
 国際競争力を高めるために、高等教育の質を改めなければならないという理屈は分からないではない。だが足下で中等教育以下が崩壊しているのだとすれば、その水漏れを防がなければ全体の質も改善されない。繰り返す。大学として学生の質の低下に危機感を感じているのであれば、大学は最後の砦の役割を果たすべきである。「大は小兼ねる」ならず、「高は低を兼ねる」であろう。難しいことをおやりになって来た頭脳を使えば、そんなことはたやすいことであるはずだ。それがお出来にならないのは、大学教員のプライドであろうか? はたまた実務は外道とお考えなのであろうか?
 こういう言い方をすれば私自身の否定にもなってしまうが、誤解を怖れずに言えば、要するに経済学・経営学などは、それを学ぶ多くの学生にとって無用の長物である。経済学を学んでもおカネ儲けが出来るわけではないし、経営学を学んでも立派な経営者などになれっこない。ミンツバーグ先生は「MBAは会社を滅ぼす」ことさえ指摘される。
 大学の一般的な質がここまで低下した以上、大学の名称になど拘らず、実を取るべきである。これまでの経済学部や経営学部では、そこで何を学び、何を身に付けるかということより、何々大学に入学したことが評価された。東京大学や慶応大学で経済・経営を学んでも、企業はそんなものを少しも評価して来なかった。東京大学や慶応大学に入学する学力が評価されただけのことである。
 こうした事情は、実はアメリカのビジネススクールにおいても同じなのである。有力校のMBAホルダーが大手企業に採用されるのは、彼らの学んだスキルを評価してのことではない。採用する企業は、ビジネススクールで身に付けたスキルなどはほとんど気にしていないというのが実情ということだ。それはそうであろう。ビジネス経験のない学生がヴァーチャル空間で学んだ知識に涎をたらすほど、企業は愚かではない。
 しかしながら日本とアメリカが異なるのは、東京大学卒が相対的に優遇されるとしても、そのことが必ずしも出世の必要十分条件とはならないのに対して、アメリカでは、それが必要十分条件になってしまう点である。どうしてそうしたことが起きるのか? MBAホルダーが徒党を組んで、非MBAを徹底的に排除してしまうからである。MBAホルダーが仲間内で甘い汁を吸い尽くす構造を作り上げてしまっているということだ。MBAホルダーは投資銀行コンサルティング・ファームといったヴァーチャル・リアリティを作りやすい業界を好む一方、そうした世界を作りにくい製造業は好まない傾向がある。アメリカ経済は、こうしたゴーストのようなグリードたちに食い尽くされてしまったのである。
 わが国においてもこれを他山の石にしなければならないということである。私が、お高く止まって無駄な時間を費やすよりは、「読み書きそろばん」に立ち返って能力を磨き直した方よいと言うのは、怪しげな経済学・経営学を振りかざして、如何にもしたり顔で害毒を撒き散らす先生が多すぎるからである。大学生に「読み書きそろばん」を教えることの出来ない先生に、経済や経営を教えることはとても出来ないと考えるのは自然であろう。しかし大学の中では、そんなことを考える狂人は見事に少ない。