リストラの嵐:経営を放棄した経営者に告ぐ

 リストラの嵐である。リストラは"restructuring"の短縮形である。だが従来からその実態は人減らしが主体で構造変革とはほど遠い。そのためそうした軽薄なリストラと峻別するために、一時期"re-engineering"なる言葉が用いられたこともあったが、今は死語である。このことに見られるように、わが国企業では本質的な意味でのリストラが断行出来ていないということである。
 リストラが単なるスリム化でないことは明らかである。抜本的な企業体質の改善を図る中で攻めの環境を作り出すことこそ、その元来の意味である。だからリストラは銀行と結託して先走るCFOなどには決して任せることが出来ない代物なのである。短期的観点からリストラは出来ない。それをやることは身の破滅である。地獄への一里塚である。
 今各企業が展開しているリストラは、短期的な利益確保にばかり気が向かい、ヒトを減らして設備投資を行なわない。それだけのことである。これが経営者の仕事と言うのなら、そんな経営者は要らない。他人の首を切る前に自分の首をさっとさっと切るべきである。ビッグスリーの経営者ばかりでなく、枯れ尾花に怯えて只管ヒト減らしに走る経営者はみんな同じ穴の狢である。
 それにしても無様なのはソニーである。元々経営の失敗があった上に、この危機。慌てふためくのは理解出来ないではないが、それにしても世界のソニーが聞いてあきれる。1万6000人の削減計画は無論であるが、鹿児島県出水市の例はそこまで堕ちたかソニーさんとしか言いようがない。出水市にはパイオニア撤退のあとにソニーの進出が決まっていた。それが今回の騒動で白紙撤回としてしまったのである。わずか雇用数百数十人の小さなプロジェクトである。百年に一度の危機かどうかは知らないが、ソニーの経営計画は一体どうなっているのであろうか?
 こんな短期間に経営の抜本を変えなければならないということは、計画自体がお粗末であったとしか思いようがない。経営計画がお粗末であるのはすなわち経営陣がお粗末だからである。ソニーはわが国企業として役員報酬の高いのが有名な企業である。その経営陣が責任を取らないで、なぜ無辜の従業員が責任を取らなければならないのであろうか? SONYは今後"It's a SONY."などとオツに澄ますのはもう止めた方がよい。実態は"It's phony."であることに世間が気づき始めているのだから。
 私は「今回の危機は制度不況である」と再三述べて来た。それは基本的に間違いないのだが、最近の経営者のウロタエぶりを見るにつけもっと問題を鮮明にする意味で、経営者不況と考えるようになっている。金融危機の元凶である金融機関経営者は元より、これまで如何にも能力ありげに君臨していた経営者のことごとくが単なる金の亡者で、畜生にも劣る存在であることが白日の下に曝け出されたわけである。今日の不況の相当部分は経営者の責任であることをしっかりと認識しなければならない。
 翻って来年の大河ドラマ直江兼続が主人公ということである。まさかNHKはこのタイミングを予見したわけではないであろうが、タイミングのよすぎることこの上ない。徳川に与することを潔しとしなかった米沢上杉藩は関が原後それまでの120万石が30万石へ四分の一の減封という実に厳しい憂き目にあった。だが米沢藩は従前どおり上杉に仕えたい者は全て召抱えたのである。売上が四分の一に激減したにも拘らず、リストラを行なわなかったということである。このため兼続を中心に米沢藩が実施したのは、幹部が率先して乏しさを分け合う中で殖産興業に邁進することであった。言ってしまえば簡単であるが、こうした策が効を奏するのに10年の月日が要されている。ただしこれは米沢藩にとって「失われた10年」ではなかった。災い転じて福。正に「再生への10年」であったと言えるわけだ。
 私はリストラの原点はここにあると信じて疑わない。ヒトを第一に考えればそれが当たり前である。幹部が率先して従業員と共に乏しさを凌ぐ中で企業の再生を図るというのが、リストラの原点である。カネを貰いに来るのに自家用ジェットを飛ばすような発想は、米沢藩からは絶対に出て来ないであろう。
 危機の脅威に過剰に反応する経営者であるが、ここで忘れてならないのはわが国は未だ500兆円のGDPを誇る経済大国であることだ。一人当たりでは400万円の水準である。400万円の年収があれば、通常はそんなに不自由なく一家4人でが生活出来るはずである。米沢藩はGDPが四分の一になる中で再興を図ったわけだ。それと比べれば今の危機などかすり傷程度にすぎない。今リーダーに求められるのはそうした剛毅さである。経営者の愛読書は歴史物が圧倒的に多いと聞く。にも拘らず、この体たらくである。何を歴史に学んでいるのであろうか?
 閑話休題。この冬の国会議員の先生方のボーナスは330万円と伝えられる。今書いたようにこれは、一家4人が普通不自由なく暮らせる水準に近い金額である。先生方はそのことを心底理解しているのであろうか? 政治にカネが掛かるのを嘆く前に、いっそ麻生総理を先頭に議員の先生方はボーナスを全て国庫に返上し"restructuring"を図ったら如何なものであろうか? 小手先の心の通わない政策を羅列するより国民は納得するであろうし、かたがた人気回復の手段としても有効であろう。そのことに思いが及ばないのはお粗末という水準を通り越し、そもそも政治家を志す資格がないということである。
 主題に戻る。もっとも企業の大きい小さいを別にして、経営者がみんな志が低いわけではない。たとえば中小企業家同友会などは、商工会議所などのように政府からカネを貰えるわけでもなく、経団連のように名誉が与えられるわけでもない。自発的かつ手弁当で経営改善の知恵を求めて集う人々によって成立する組織である。日々多忙な経営者において自発的・手弁当の意味は大きい。ここに参加する経営者は悉く志が高い。
 この同友会の幹部であるH氏は私の知人である。彼は日頃から後輩経営者に対して「何のために経営をするのか」を問い、一方で「従業員あっての会社であること」を宣言して憚らない。彼の場合、経営の軸が実に明確で一切ブレない。周りには彼と同じ考え方を持つ経営者が多い。日本的経営というかどうかは別にして、やや画田引水ながら、こうした経営のDNAのルーツは米沢藩の例に発しているということであるかもしれない。「何のために経営するのか」を問うことは実に重要である。そのことがあまりにも蔑ろにされている。経営判断に迷ったら問うべきはそもそもの"goal"と"mission"である。
 今日リストラ企業の経営者がもっとも間違えているのは、企業への貢献度の大きい期間労働者派遣労働者などの非正規雇用者を正規雇用者に先んじて首切りしていることである。労働コストが安いということは、逆に言えば単位賃金当たりの労働生産性が高いということである。本当に会社が大事ということであれば、経営者自らも含めてコストの高い労働力を先に削減すべきである。それが論理的思考に基づく合理的な結論であるはずだ。
 また非正規雇用者と言えども、ソニーならソニーの従業員であることは間違いない。その発想が全く欠落している。従業員である期間があれば少なからずその企業のファンになるはずである。そうしたファンを自ら断ち切る経営が正しいわけはない。先の出水市の市民などは以後ソニーの製品を多分買わなくなるであろう。ソニーにとっては、出水市民など買っても買わなくても一向に痛痒を感じないのかもしれない。だが本当に恐ろしいのは蟻の一穴である。今回率先してリストラを実行している企業の今後の業績展開が注目される。