ホンダのF1撤退:もの作り原点の大転換!

 ホンダがF1からの撤退を宣言した。過去にも二度F1への参戦を止めたことがあるが、それらは飽くまでも「休止」であり撤退ではなかった。いずれにしても、ホンダはその草創期からモーター・スポーツとは切っても切れない会社であった。ホンダは1946年の創立であるが、創立3年後の49年には二論の日米対抗レースに出場して優勝。次いで54年にはブラジルの国際レースに出場するとともに、同年には二輪の最高峰であるマン島T.T.レースへの参戦を宣言した。マン島レースには5年の準備の後59年になって漸く初出場を果たし、その後伝説の快進撃が始まったのは周知のところであろう。
 F1への初参戦は1964年。当初こそ数々の苦杯を舐めるものの、83年に再開した第二期活動においては常勝ホンダの名前を欲しいままにする。この間優勝ドライバーとして、1987年のネルソン・ピケ、88、90、91年のアイルトン・セナ、89年のアラン・プロストらを擁し、正にホンダの黄金時代であった。通常モーター・スポーツには成熟した技術を持った会社の出場することが常識である。ところがホンダという会社は技術が成熟するのを待つのではなく、参戦と同時に技術を磨いて来たのである。F1レースへ初出場した1964年という年は、ホンダが四輪車をやっと世に送り出した次の年である。それもその四輪は軽自動車であった。
 こうしたことが可能となったのは本田宗一郎という強烈な個性と、それを一枚岩で支える藤沢武夫の二人の存在があってこそ実現した離れ業と言ってよい。中でも一介の田舎出の無学な技術者にすぎない宗一郎さんが世界一への確信を端から有していたことには、正直驚嘆以外の言葉が見つからない。ここには起業家としての凄みが感じられる。
 ともあれホンダという自動車メーカーは、モーター・スポーツとの関わりにおいて、世の中に認められ育ち上がって来た会社である。それがF1と縁を切るというのだ。福井威夫社長は自らレース・マシーンの開発責任者であった経験をお持ちであり、今回の決断が如何に断腸の思いであったかは想像に難くない。
 私事で恐縮であるが、私は初代アコード以来のホンダ・ファンであった。初代アコードは義母が所有しており、それに初めて乗ったときは正に衝撃の一語に尽きる。小さな図体に余裕の居住性と乗り心地、トラックを彷彿させる見通しの良いグラス・エリア、それと必要充分なエンジンのレスポンス。高級車でこそ可能なコンセプトが、この大衆車レベルで実現していたのである。
 義母のアコードの印象が強烈であったため、私はその後自らも二代目、三代目アコードのオーナーとなった。二代目までは明らかに独自の先端技術を取り入れ斬新さを失わず、乗って楽しく、かつ自慢出来る車であった。ところが三代目になると、ホンダらしさが徐々に失われ、例えばトヨタ車との差なども見極められなくなった。外内装、コンセプト、性能等の全てに亘ってそう感じられるようになったところから、私はホンダ車に乗ることを止めた。
 その後はローバーを二台乗り継ぎ、現在はフォルクスワーゲンに乗っている。一台目のローバーはホンダとの提携時代に作られた車で、英国調の快適性とホンダの基本技術に支えられたとてもコージーな車だった。この時ローバーを選択したのもホンダへの愛着が捨て切れなかったからである。本体のホンダが作る車に魅力を見出せなくなった中で、ホンダの幻を追いかけたのがローバーの選択であったということだ。
 二台目のローバーはBMWとの提携時代に作られた車である。この車は外見の端正さと内装の寛ぎが感性をそそる車であった。ところがこの車にはトラブルでとことん泣かされた。室内照明の剥落、ラジエーターの水漏れ、ランプの誤作動、エンジン・トラブル等修理箇所は枚挙の暇がない。だが家族は皆この車を愛していた。泣かされるはしたが、家族は「わが家が主有した車のベスト・ワン」と口を揃えて評価している。
 車というのは不思議な道具である。快適性、安全性、燃費等の基本的なカタログ性能が満たされればよいというものではない。フィーリング、相性などカタログに表わしきれない要素も選択を大きく左右する。イタリアのとあるカー・メーカーではエンジンの設計をそのエンジン音から始めると聞く。これがフィーリング、相性の原点ということであろう。初期のホンダ車には私が共感したのも、そうしたフィーリング、相性である。
 ホンダはアンダードッグ(”虐げられた”挑戦者)としてそのブランドを世に問うて来た。そのシンボルがモーター・スポーツであった。ホンダはモーター・スポーツに挑戦し続けることによって成長し、それがホンダのDNAを形成して来た。ホンダのブランドが”挑戦”という言葉に集約されるとして、F1から撤退するホンダには、今後”挑戦者”のDNAを何をもって次世代に繋いでいくかということが問われよう。
 部外者である私にホンダの経営を心配する必要はない。しかし”元”ホンダ・ファンあるいは永遠の本田宗一郎ファンの立場として、今後のホンダがとても気になるところである。宗一郎さんがご存命であったとしても、今回の撤退劇なども案外さっぱりと「いいよ」と承諾されたのかもしれない。だがホンダのF1からの撤退は一人ホンダのみならず、わが国のモノ作り原点の大きな路線転換と位置づけであるとすれば、宗一郎さんはどうお考えになったであろうか? 是非伺ってみたい気がする。