ちょっと待って! IBMさん

 日本IBMが1000人規模で正社員の削減を図るということである。これまでリストラ対象となって来たのは主に季節従業員などの非正社員であった。こうした中でここに来てリストラ対象が正規社員にまで広がりつつあることは、実に由々しい問題である。
 ところでそもそも会社って何なんであろうか? 会社を巡る議論は多岐に亘るが、ご案内のように、最近に至るまで有力であったのは「会社は株主のもの」という考え方である。会社は株主のものである。そのため経営陣は、株主価値(企業価値ではなく)の最大化を図ることに日夜腐心しなければならない。兎にも角にも株価を上昇させることが経営者の最大の使命とされるわけだ。
 株価を維持するためには短期的に結果を出すことが求められ、四半期決算などの呪縛に雁字搦めにならざるを得ない。他方短期的利益を追求すれば、長期的利益が相対的に劣後扱いとされてしまう。こうした典型例としては、ニッサンのケースが挙げられる。ニッサンはゴーンさんの活躍で見事復活を遂げたとされる。しかしながら彼の復活への手法は、古典的なリストラ策が主体であった。リストラ策は恨みを凌ぐ鉄面皮を決め込めば、容易な策と言ってよい。達観すれば”無策の策”がリストラ策なのである。
 これで効果が出たとしても経営者としては手放しで自慢出来るものではない。ニッサンの場合も確かに急カーブの業績回復を果たした。ところが後回しにされた研究開発投資の影響が出て始めた辺りから、またぞろライバル各社の後塵を拝することとなっているわけである。安易なリストラ策の罪の深さを慮るべきである。
 翻ってわが国の経営システムは長期的経営により適していると言われ、かってはそれが欧米でも高く評価された。ところが米国を中心に過度な株主主権が主張されて、短期的成果志向が強まり、かつそれが一定程度の成果を挙げたところから、好事魔多し。日本的システムがさっぱり省みられなくなったわけである。
 ガバナンスの観点からは経営が、経営者及び従業員等の内部関係者以外の目に晒されることは必要である。だがそれが行き過ぎて「会社はただただ株主のもの」とされ、株主の利益を図ることが唯一の目的とされるようになった。その結果が近時の米国金融システムの崩落であるし、ビッグスリーの自壊であると、私は考えている。今回の世界的経済危機は本欄で何度も書いて来たように、制度不況の色彩が濃いわけである。制度不況というのはヒトがよかれと思って作った制度に却って自縄自縛となり、その結果齎される不況のことである。
 私は会社は「唯一株主のもの」とは考えない。会社に関わる利害関係者全てのものであると考えている。ここでの利害関係者は、株主・経営者・従業員をはじめとして、金融機関、取引先、地域、政府等幅広い存在を指している。その会社の存在に、何らかの利害関係を有する人たちの塊りのことである。真の会社経営というのは、そうした利害関係者全ての利害を調整し、それらの利益の最大化を図ることである。
 話はやや逸れるが、私はこの昨日までの3日間、プライベートで鹿児島に旅行に出掛けて来た。ご案内のように島津のお殿様の居城鶴丸城は屋形造であって、空に聳える天守閣など端から持たなかった。島津のお殿様は「城を守るものはヒトである。そのヒトを作るのは教育である」と考え、ヒト作り(=教育)に精を出した。その考え方の正しさは、幕末の薩摩藩から綺羅星のごとき人材を輩出し、維新の立役者となったことで証明されていると言えよう。
 会社も結局はヒトである。人員削減によって一時の延命が図られたとしても、その咎めは必ずやって来る。短期の利益極大化が長期の利益極大化を保証するものでないことは、常識である。会社に関わる者の対立する利害を調整し、その利益の総和の極大化を図ることを可能とするものは、長期的志向の中でしかありえない。
 無定見なリストラに走り、短期的に体裁を整えたとしても決してそれで済まない。今回のようにより深刻な不況が懸念される事態においては、”合成の誤謬”がより強く発現する。御身大事に身の安全を図りうまく対応したつもりでも、総需要が不足すればその影響は倍加して跳ね返って来る。現在のような環境下において、リストラ策を採用することは愚の骨頂であることが間違いない。少なくとも、IBMのようにまだまだ体力のある会社が率先してリストラを実行し、その延命を図ることは馬鹿げているとしか言いようがない。景気の悪い時には身を削っても耐え忍ぶことが大事であり、それが大会社の矜持であろう。 
 このことを理屈で分かっても実行出来ない原因として、短期的業績評価や株価の呪縛があるとすれば、これらは全てヒトが作った縛りでしかない。そんなものは改めればよい。制度はヒトが作ったものである。それに縛られることはない。大事なのは本質は何かということである。100年に一度の危機と言われるわりに、そうした本質的な議論に政治が向かわないことに、歯痒さを覚えるのは私だけではないであろう。
 いずれにしても数多の俊秀が集う天下のIBMさんがこんなんでよいはずはない。最高顧問の北城さんはまだまだ矍鑠と経営道を説いておられるようだが、他人を諭す暇があれば自分の企業を正すことこそ必要ではないのだろうか。