恐慌・戦争はカタルシス作用!

 米政府が金融システム保護のために公約している対策費総額は7兆7000億ドル(770兆円:100円換算)と震えが来るほどの巨額に上る。米国GDP13兆ドルの過半を占め、わが国GDP500兆円の1.5倍以上の規模である。公的資金と言えば聞こえはよいが、全て国民への付回しである。これは決して他人ごとではない。相対的に健全と言われるわが国金融機関であるが、明日はわが身と心得た方がよい。
 7兆7000億ドル中既に実行されたものは、合計で3兆1720億ドル(317.2兆円)である。その内訳としては、シティ救済3010億ドル(30.1兆円)、GEキャピタル債務保証1390億ドル(13.9兆円)などの個別企業への資金提供の大きさが目立つ。一方CP買取2710億ドル(27.1兆円)、TAF(期日物資金入札)4150億ドル(41.5兆円)、TARP(問題債権購入計画)3750億ドル(37.5兆円)、住宅ローン保証3000億ドル(30兆円)などは、全て各機関の問題債権債務の合計である。比較すればシティ、GEという一私企業の救済に、如何に巨額の資金が注ぎ込まれているかが一目瞭然ということだ。
 さらにビッグスリーの問題もある。米自動車業界救済のために、政府には250〜750億ドル(2.5〜7.5兆円)の資金注入が要請されている。資金注入が図られなければ自動車関連産業全体で新たな失業が400万人発生すると言われる。ビッグスリーの資金協力要請は、失業を形に取った要するに恫喝である。
 金融機関にしても自動車メーカーにしても、つまりは”too big to fail”ということである。依然FTCは大型合併に目を光らせていた。企業が巨大化して市場の支配権を握ることは好ましくないとの発想があった。だが近年では外国企業との競争も視野に入れねばならず、それを考慮すれば「企業の巨大化=市場支配権の奪取」ということにならないとするのである。わが国でもこれに右へならいしており、公取も同じ発想で望んでいる。だから1970年代には第一と勧銀の合併ですら大騒ぎしていたのが、近年では一勧・富士・興銀や東三・UFJといった超大型合併も看過されているわけである。
 私はこの際限ない企業の巨大化がそもそも問題の根源であると考えている。企業の巨大化は効率化を促がすと言われる。だがその一方で外国企業との競争を視野に入れたとしても、未だ独占・寡占の弊害が生じることも事実である。わが国の都市銀行はバブル以前には13行あったものが、現在は3行にまで集約されてしまった。13行時代には顧客からの選択の余地があったわけだが、3行まで減少してしまえば俄然選択肢が狭まる。こうした状態の下では実態的に、顧客は意に沿わない銀行とも取引せざるをえなくなる。これは明らかに寡占の弊害である。
 またこうした政府資金の注入に際して、米国では金融機関経営者の報酬制限が大きな問題となっている。政府資金注入の条件として、経営者の報酬を制限せよということである。因みに2007年の米大手企業500社のCEOの平均報酬は1280万ドル(12.8億円)に上るということだ。この水準は一般従業員の300倍というべらぼうなものである。これはより高額報酬を手にして来た金融機関経営者に限れば、さらに拡大することであろう。
 他方わが国では、2003年時点における経営者の平均報酬は7900万円ということである。これを一般従業員と比べると最大でも15倍程度の格差と推定される。米国の300倍に対してわが国は15倍ということである。米国の場合も業績のよい企業ならまだしも、何年もの間苦境に瀕しているGMワゴナーCEOの2007年の報酬は、1440万ドル(14.4億円)と平均値を軽く上回っているそうである。また責任を問われて退職したとしても、退職すればしたで邦貨で数十億円に及ぶ退職金が懐に入るということでもある。
 トップマネジメントと一般従業員の報酬格差の適正水準などよく分からないにしても、やはり何かが狂っているとしか言い様がない。いずれにしてもこうした法外な報酬を得ている経営者が経営する企業に、政府資金を投入することは庶民感情が許さなくて当たり前である。そうした企業に血税を注ぎ込むことは、例え金融システムが破損しても採るべき対応ではないのかもしれない。
 考えてみれば近代の歴史においてはほぼ定期的に大きな戦争や恐慌を経験して来た。そしてそれまで営々と築き上げた財産やシステムを自ら打ち壊し、廃絶して来た。わが国に限っても明治維新では、武士階級200万人が一夜にして職を失い明日の食い扶持を失った。また太平洋戦争では、軍民合わせて310万人の人々が実際に生命を失う災厄に出くわした。
 人類の作った制度は当初よいと思って導入されても、時が経てば必ず制度疲労を起こしてしまう。人類に究極の幸福を齎す制度ともて囃された社会主義体制なども、せいぜい70年しかもたなかった。フレミング集団自殺を図るように、人間の作った制度は必ずや破滅に向かう。こうしたコンテクストの中では現在直面している危機なども、大きな戦争を起こさない代わりの「カタルシス作用」と捉えるべきであるのかもしれない。辛くかつ馬鹿ばかし現状ではあるが、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで、われわれはこれを歴史の鉄則として受け入れる覚悟が必要かもしれないということである。