必要な政策の機軸:ハンガリーの金利引き上げに啓発されて

 世界金融危機のさなか金利引下げが定番メニューであるにも拘らず、ハンガリー中央銀行は10月22日政策金利を8.5%から11.5%へ3%引き上げた。これはフォリントハンガリー通貨)下落への対応のために採られた措置ということである。金利引き上げは通常景気に悪影響を及ぼすと考えられるが、ハンガリーでは景気より通貨防衛を優先させたということだ。
 ハンガリーは資本輸入国であろうから、フォリントが売り込まれることはすなわち同国からの資本引き上げを意味する。通貨が下落した国では、流動性危機への懸念が高まることとなるわけである。諸悪の根源であるはずの米ドルがこの期に及んで予想外にしっかりした基調で推移しているのは、このように新興国等からの資本引き上げによってドル需要が膨らんでいる面が大きいということだ。
 翻ってわが国は資本輸出国である。SNA(国民経済計算)によれば、2005年度末の家計の純資産(資産から負債を引いたもの)は1,151兆円で、これが非金融法人企業の601兆円、一般政府の406兆円の資金不足をファイナンスし、そしてさらなる余剰資金176兆円が海外向けに仕向けられていることが見られる。ここから言えることは、わが国では政策に関する自由度が相対的に高いということである。蓄積された金融資産を前提とすれば、少なくとも通貨危機が即流動性危機に繋がることはない。勿論ハンガリーなどの小国と異なり、わが国は経済大国である分国際金融秩序の維持に責めを負っており、その面からの制約が大きい。しかしそれはまた別の話である。
 金利は資本移動のない完全に閉じた世界では、マクロ経済的にはその絶対水準に意味はない。なぜならば国内に閉じた世界では、金利支払いの総額と金利受取りの総額は事後的に必ず一致するからである。これは誰かが10%の金利を支払えば、その受取りは預金者が9%、金融機関が1%をという形となり、入り払いがゼロになるという当たり前のことである。また一般に金利が高い時には景気がよく、金利が安い時には景気が悪い。高金利は何時の世も悪玉にされることが多いが、高金利が発生するのは”耐金利力”があるからこそ、金利は高い水準となるのである。
 問題は金利支払いの主体と金利受取りの主体が異なることである。受け取る方は金利はいくら高くてもよいかもしれないが、支払う方はそうはいかない。ただリーゾナブルな金利を支払えないような企業は本来的に淘汰されて然るべきであるとするならば、このこともあまり問題とはならないと言ってよい。政府が実質3%成長を目指すとして、その場合のインフレ率を2%とすれば、名目金利は5%程度がリーゾナブルな水準である。
 そもそも資金の借入はそれを事業に投入することによって、成長を果たすことが最大の眼目である。1億円を5%の金利で借りれば年間500万円の利息を支払うこととなるが、利益償還するためには1億円の資金投入によってその5%以上を儲ければよいわけだ。名目成長率が5%の経済下において、これが支払えないのであれば、そもそもその借り手は借金をする資格がない。金利を受け取った主体がまた消費や投資を増やせば、さらに成長率は嵩上げされることとなる。これが先週14日付本欄で書いた金利引き上げによる景気浮揚効果である。内需振興の目玉は決して定額給付金公共投資などではなく、眠れる(金融)資産活用ということであることを改めて主張したい。
 閉じた経済の下では、国債金利が上昇して政府の支払いが増えたとしても、受け取るのは全て国民である。可処分所得の増えた国民がそれを使えば景気がよくなり、税収が増えることとなる。税収が増えれば政府の金利支払い能力も増す。これで大団円である。もっともこの議論の欠陥は、わが国経済が決して閉じた世界ではないことである。金利の高低によって資金移動の生じるのが現実である。現下で言えば、今金利を引き上げれば円買いが始まり一層円高ドル安になってしまうということだ。
 円高が忌避されるのは、「円高→輸出企業のダメージ→不況」という呪縛に雁字搦めになっているからである。だが10月27日に書いたように、本来円高のメリットも決して無視できない力を持つわけである。明治維新以降われわれは輸出振興をある意味国是として頑張って来た。しかしここで考えて見て欲しい。輸出するということは自分たちが消費する以上のものを作りそれを外国に使わせるということである。外貨は貯まるかもしれないが、国民の厚生は高まらない。「輸出頼みの成長」とはそういうことである。米国のように”ペーパー円”が世界で流通するのならば、作るもの以上に消費を可能とするのであるから、輸入は多ければ多いほど国民の厚生は高まる。
 つまり「輸出先にありき」でものごとを考えるのではなく、「輸入先にありき」で考えるべきなのである。必要なものを過不足なく輸入出来るように、輸出水準を考慮するというのが正しい姿である。輸出が減少すれば経済成長率が低まるというのは、定義的に当たり前である。だが輸出が減少してもそれだけで国民の経済厚生は低くならない。そのことに注目しなければならないということだ。そうすれば経済を見る目が全く違って来る。
 冒頭ハンガリー金利引き上げの話に触れたのは、経済政策の手段は限られており万能薬ではないところから、期待する政策効果に順番をつけなければならないということである。ハンガリーでは景気よりフォリント防衛に高い優先順位をつけ、こうした状況下でも敢えて金利引き上げを実施したということだ。わが国では円高になれば円高不況、円安になればインフレ懸念とどっちに転んでもマイナスの要素が喧伝される。これでは円高が望ましいのか、円安が望ましいのか少しも分からない。こうした議論が百出し混乱するのは、マスコミ・論者の未熟性に加えて、国の向かう方向が定かではないからだ。
 「必要なものを過不足なく輸入出来ることが望ましい」という立場に立てば、円高は脅威ではなく、むしろ天恵なのである。そのことに気がつけば、内需振興のために金利を引き上げることなどが景気対策の軸に据えられてもよいはずである。いずれにしてもしっかりした政策の機軸・視座が必要ということである。何か起こると浮き足立ち、かつステレオ・タイプの政策案を捻り出すことしか出来ないのは、政府の怠慢である。