BISの自己資本比率規制を撤廃せよ!

 今なりふり構わず金融制度の足枷と懸念されるものの見直しが進められている。時価会計、空売りを始めとして、銀行の自己資本にも見直しが入るという。これは私が一貫して主張して来たように、「制度恐慌」の回避手段として正しい対策であり、歓迎すべきものである。今後はさらに突き進んでBIS規制の撤廃を訴えたい。
 私がBIS規制の撤廃を求めるのは、第一に、これまでのわが国の経験、今般の世界金融危機に見られるように、自己資本システミック・リスクの有効な回避手段とはならないと判断するからである。この延長線上で、とりわけ8%の意味などは全く分からない。
 第二に、そこには比率の算定上、信用収縮を容易に招来する構造がビルトインされているからである。分母対策はすなわち資産圧縮以外に方途はなく、これが安易に運用されるとクレジット・クランチ(貸し渋り)に繋がる。また分子に有価証券含み益を算入することによって、保有株式の下落がストレートに自己資本を毀損し、そのことが自己資本比率維持を目的とした総資産圧縮に繋がってしまう。これらはいずれも信用収縮を引き起こすわけである。
 第三に、あまりにも比率維持を全面的に押し出すことによって、一方で規制逃れが横行し、それが目の届かないところで修復し難い大混乱を引き起こしてしまうこととなっているからである。
 まず第一の論点を議論する。金融機関の議論からはやや離れるが、わが国中小企業の自己資本比率はバブルが弾けて以降ほぼ一貫して上昇し続けて来た。この間企業倒産件数も2001年までほぼ一貫して増加し続けて来た。一般企業と金融機関を全く同じ土俵で論じることは出来ないかもしれないが、10年以上の長きに亘って、自己資本比率の上昇と倒産件数の増加が並行したという事実は事実であろう。こうした事実を前提とすれば、金融機関の自己資本比率が本当にシステミック・リスク回避に有効な手段であるのか、またどうして8%という水準が課せられなければならないのか、これらが論理的に説明されなければならない。
 結論を先に言えば、この論理的・実証的・合理的な説明は無理であろう。なぜならばBIS規制が図られた時には、大義名分の陰で、明らかにわが国金融機関の追い落としが意図されていたからだ。したがって明確な理屈はないということである。このことの議論を避けていてはBIS問題は解決しない。
 次いで第二の論点を議論する。わが国中小企業が自己資本比率を高めたのは、増資などではなく、借入金を始めとして総資産を圧縮したことが主因である。つまりは分子を増強したのではなく、分母を減らしたということである。分母を減らした結果自己資本比率は上昇したが、置かれる環境は却って悪化した。わが国金融機関も8%の達成に血道をあげて来た。しかしながら公的資金の注入を除けば、ほとんどが貸し渋りに代表される分母対策であった(資本増強も勿論あるが、それは国民に多大な負担を強いているゼロ金利政策の恩恵が大きい)。総資産を圧縮する方向では、問題は解決しないということが示唆されていると言えよう。
 1988年にBIS案が示された時、私は勤め先の金融機関から自己資本対策担当を命じられ、MOF等とのやり取りを事務方として経験した。したがって少々その間の事情には詳しい。BIS案をわが国バージョンに仕上げる過程で、MOFが一番腐心したのは、軒並み低いわが国金融機関の自己資本比率を「制度的」にどう嵩上げするかということであった。つまり分子対策としてはわが国の特殊性を訴えつつ、如何に資本金に組み入れる項目を増やすかということが焦点であったということである。
 その目玉が「有価証券含み益」であった。BIS以前の算定基準においてわが国では70%の繰り入れを認めて来たが、それをBISにも認めさせようということである。結局認められはしたが、繰り入れ比率は45%とされた。またあまり一般には知られていないが、含み益の中には株式だけではなく、「償還されればゼロとなってしまう」債券含み益までが算入されているのである。本来的に含めるべきではなかった有価証券含み益それも債券含み益まで対象としたのは、「形式値」の達成を急いだからである。結果的にこれは明らかに失敗であった。形式値の達成を焦って本質論を戦わせなかった結果が、今日わが国金融機関の行動を大きく縛ることとなり、結果株価下落が信用収縮に直結する構造を生み出してしまったということだ。 
 最後に第三の論点を議論する。米国において1933年に制定されたグラス・スティーガル法によって、銀行業務と証券業務の分離が図られることとなった。こうした中で、その尻抜けとなったのが投資銀行である。銀行に課せられる規制を免れつつ、銀行擬似業務を行なうのが投資銀行である。投資銀行の問題はそれまでも取り上げられて来たが、大きく脚光を浴びるようになったのは自己資本比率規制導入後のことである。
 投資銀行が得意とするオフバランス技術は、自己資本比率の制約を課せられた銀行にとって格好の金融技法であった。実質的な収益資産に投資しつつも、資産カウント上計上されなかったり、計上されても掛け目が付されるのであるから、こうした技術を導入しない手はない。結局証券サイドから預金擬似商品が多数開発されたこともあって、グラス・スティーガル法なども実質的に形骸化されてしまうこととなった。
 これが陥穽であった。本欄で繰り返し書いているように、間接金融と直接金融は同じ金融という言葉を用いても、本質は似て非なるものである。その間は厳然と線引きされなければならない。今回の金融危機は達観すればその咎めと言ってよい。
 以上、BIS規制の欺瞞性について議論した。システミック・リスクの回避手段として、自己資本比率は有効性を欠くということである。有効性を欠く制度にしがみ付き、人為的危機を自ら作り出してそれに怯え、怯えを解消するために血税を投入する。こうした馬鹿げた循環は速やかに断ち切らなければならない。
 それにしてもリーダーが不甲斐なさすぎる。経済対策を優先させるために早期解散はしないということのようであるが、これから採るべき政策は事前に国民の厳格な審判を受けるべきものである。麻生さんにも誰にもただただ借金の山を積み重ねることまで負託していない。そのことをよくお考え頂きたい。