金融危機を恐慌に繋げないために:米国篇

 ご案内のように、J・K・ガルブレイス『大暴落1929(1997年版)』では、株価暴落が大恐慌に繋がった原因が追求されている。株価が暴落しても直接的には景気への関係はないはずであるのに、「株価暴落→大恐慌」という図式がなぜ成立したのかということである。
 同書において、ガルブレイス先生は「大恐慌の原因は、いまだにはっきりしていない」と述べる一方で、当時の米経済が基本的に不健康であったことを指摘する。
 不健康である要因の第一は所得分配、第二が企業構造、第三が銀行システム、第四が対外収支、第五が専門家の経済知識である。
 所得分布に関しては、1929年当時には、5%の金持ちが個人所得総額の3分の1を手にしていたことが推定されている。個人消費(とりわけ奢侈品・贅沢品)、設備投資をこのクラスに過度に依存しており、こうした層が株価暴落によって壊滅的打撃を受けたことが景気を直撃し、さらに回復を長引かせてしまったということである。
 企業構造に関しては、当時持株会社投資信託という新種の経営形態が席巻するようになっていたことが伝えられる。こうした形態は市場の上げ局面では有効に機能したものの、下げ局面では逆レバレッジ効果が働くこととなり、それが却って破壊的な作用を及ぼしてしまったということである。
 銀行システムに関しては、経営基盤の脆弱な銀行が多数存在していたことが指摘される。インフラとしてのセーフティーネットなどが全く構築されていなかったため、銀行破綻の連鎖を限りなく広がらせてしまったということである。
 対外収支に関しては、当時の米国は貿易収支も資本収支もともに黒字と一人勝ち状態にあったことが検証される。当時各国間の決済は「金(ゴールド)」に依存していたが、貿易赤字国、資本輸入国の「金」による支払能力が限界に達し、輸入(とりわけ米国からの輸入)を極端に手控えるようになってしまったということである。
 専門家経済知識に関しては、フーバー大統領は当初減税政策を採用するなどの対策を採用したものの、その後は均衡財政論者、インフレ懸念論者の声に押されて、有効な経済政策を打ち出すことが出来なかったということである。
 ガルブレイス先生のこの見解は現代にそのまま適用されるものでないかもしれないが、これららの要因について、簡単に米国経済の現状をチェックして見ることとしよう。
 まず所得分布であるが、2005年の米国では上位10%で46%の所得を得ており、このうち上位1%では19%を占めるということだ。上位5%の数字は手許にないが、これは1929年当時より明らかに歩が悪いと言ってよかろう。
 企業構造に関しては、金融持株会社投資ファンドなどが跋扈しており、モノを堅実に生産するのではなく、カネがカネを呼ぶ構造を経済構造にビルトインさせてしまっており、この面でもやはり29年当時より歩が悪いであろう。
 銀行システムに関しては、預金保険制度、SEC、自己資本比率規制など29年当時と比べれば、格段に制度の整備が図られている。加えて、日本に倣って資本注入も実行可能となり、形式的には現代が29年当時より勝っていると見られるであろう。
 対外収支に関しては、貿易収支赤字、資本資本収支黒字となっており、貿易収支が赤字になっている点が異なる。29年当時は貿易黒字を記録しながら資本収支も黒字であったのは、決済手段が「金」であったからである。現在では「金」の縛りはなく、また輸出への依存が小さい分29年当時と比較して制約は少ないものと見られる。ただ輸入大国である米国の景気悪化は各国の輸出環境が悪くなることであり、こうした影響は29年当時とまた異なるメカニズムで世界経済に与える影響は大きいであろう。
 専門家の経済知識に関しては、29年当時確たる政策手段を主張する向きが少なかったことが問題視されるが、大恐慌後四分の三四半世紀を経た現在、経済理論は格段に進歩・進化していると考えてよいであろう。 
 こうして見ると、29年当時より状況の悪いのは、所得分布と企業構造で、逆に状況の良いのは銀行システムと対外収支(飽くまで米経済にとって)、そして専門家の経済知識である。他の要因が影響しないとすれば、3勝2敗で29年当時より数の上では現状の方がまだましということであろうか。ただ3勝中銀行システムと経済知識の二つは、正しく知恵の尽くしどころということである。恐慌回避に人間の叡智が試されているということになる。実に示唆的であり、このことをよく心したい。
 
コメント頂いた方に:
 私ごときのブログに懇切なコメントを頂き、有り難うございました。心より御礼申し上げます。コメントに関して少々説明させて頂きます。
〔10月27日分〕
 私もその昔金融機関で仕事をしており貿易実務についても多少知識があります。仰るとおり、実務的に業者さんは大抵の場合カバーを取り、債権債務を裸にしておくことがないのは承知しています。ただその先もあるわけでして、カバーの受け手が必ずいるわけです。その受け手は金融機関であったり、投資家であったり、外国人であったり様々でしょう。いずれにしてもマクロ的に見て、究極の段階では必ず円高(円安でも同じこと)で儲ける人がいるわけです。そうした利益が退蔵されるのであれば、日本経済に円高メリットが少しも還元されず、ただでさえ大変な状況をますますお先真っ暗にしてしまいます。そのことを言いたかったのです。ただ輸入業者さんを名指しにしたのは、不穏当であったかもしれません。趣旨は「円高利益を隠匿するな」ということです。意のあるところをご理解賜れば有り難く存じます。
〔10月28日分〕 
 私ふぜいが少なくとも反対意見を圧殺しようなどとは、露ほども思っておりません。色々な議論が活発に闘わされることこそ重要と考えております。ただ少なくともマスコミでは、ハッツアン・クマサン流の床屋談義は止めて欲しいということを言っているだけです。天下の公器を使って発言する限りにおいては、客観的な知見に基づいた見解を表明出来得る「知性」が必要ということです。言いたいのはそのことです。